2018年8月23日木曜日

台風20号対策

只今、台風20号対策を終えて、室内でデスクワーク中です。

台風対策って何するの?ってことで、先ずは生姜。

高知は、毎年必ず台風が来るので、梅雨入り前にはその対策の為のネットを貼ります。


菱形が連なるネットを畝幅に合わせて張り、その中に生姜が通るようにします。
そうすることで、風が吹いて茎が折れる事を防ぎます。


生姜も他の植物同様、葉で光合成を行い、光エネルギー(日光)により植物の成長に必要不可欠な栄養分をつくり出しているので、台風で茎が折れてしまうと、その後の生姜の成長に大きく支障をきたすのです。


私は未だ経験したことがないのですが、コンサルをしてくれている、おだたさんは、手塩にかけて育てた生姜が、目の前でボキボキと折れていくという経験をしたことがあるそうです。


「ただ、目の前にある生姜が折れていくのを見ているしかなかった・・・」

あーーーー、そんな思いを絶対にしたくない。

今年の高知は、今のところ大きな台風被害がないのですが、過去、もっとも早い時で、7月の後半に台風が来たことがあります。

いつ来てもいいように、梅雨入り前にはネットを張る事にしています。
かく言う私ですが、生姜栽培初年度は、

「ネットとか台風が来なければ張らなくてもいいんじゃない・・・」

と思ってたんですよね。

でも、いざ台風が来て、目の前でゆらゆら揺れている生姜の茎を見ながら

「これはヤバイわ」

と思って、雨の中、当時高校生だった息子に手伝ってもらいながら、ネットを貼ったっけな・・・(苦笑)

農業は、事前の準備がもっとも大事です。
あらゆる可能性を考慮して、予め取り組む事が大切。
それが出来ていれば、慌てずに済む。

昨年までの5年間で、私は、必ずやらなければならないことや、やるべき事に適期を完全(知識だけではなく、経験も含めて)に理解出来きて、尚且つ、それを実行することが出来ているので、台風休憩を取ることができています。

もちろん、事前の手を打っても、どうにもならない自然災害はあります。
台風直撃なんて時には、本当に心配ですよ。
でも、私の出来ることには限りがあります。
出来ないことは出来ないから、だからこそ、出来る事はやる必要があって、それ以上の事はキッパリ諦めて、次に進まなければならないですね。

その時の為の覚悟も含めて、圃場を決めたり、植え付け日を決めたり、日々の世話をしています。

それともう一つ、今年はレモンの木にも、台風対策を施しました。
まだ、定植後三年目の幼木なので、枝が細いんですよね。
台風で折れる可能性は十分にあるので、そのような事が起きないよう、ポールとマイカセンを使ってある程度、枝を固定しました。

今年は、レモンの木のオーナーさまへ5㌔をお届けする約束になっていますので、オーナー様へご挨拶。







本当にありがとうございます。

予め、お届けする先があるって、本当にありがたいです。

今年から、新生姜や青柚子もご予約販売を始めました。
農作物は、収穫直後がもっともフレッシュです。
そのフレッシュなタイミングで直ぐに、「発送⇒お届け」出来ると、ムダがないんですよね。

特に、新生姜は掘りたてが一番!
掘ってから日が経つ毎に新生姜の良さが薄れていきます。
ですので、昨年までは、ご注文の度に、その都度、「注文受付⇒ご入金確認⇒収穫⇒発送⇒お届け」と、いう作業をしていましたが、ご予約販売という形にしてからは、予め注文受付とご入金確認ができているので、発送日に一斉に、「収穫⇒発送⇒お届け」が出来るのです。労働の省エネ化ですね。ですので、仕事量が減る事によりご予約割引きをさせていただいています。

値段って仕事量なんですよね。加えて、仕事への対価だけでなく、商品として成立する前後の時間もまた、価格に反映されるわけです。お客様が前もってご予約をしてくれることで、普通よりも早く物が商品へと確約されるわけですから、その分安く提供出来るという必然性があるのです。

そういうロジックを用いることで、提供価格を下げることが出来る。

今までのように、生産者の取り分を下げる事でしか価格が下がらないような商法ではなくて、予約販売のように生産者と消費者が主体的に歩み寄れる現代の利点を活用する事で、より良いものが獲得しやすい社会になるといいなと思います。

こんな感じでお客様と取引できるようになると、私の仕事というのは、約束された未来を造る事になるのですよね。更にいうと、あるべき道を歩くことが仕事となり、それは、一人で思い描く未来ではなくて、お客様と共に歩いている道になるので、一人で歩くよりもグッといいですよ。もちろん、絶対的な責任は負います。それは途中でやめないという責任です。でも、そんなことは初めから決めている私にとっては、リスクでも何でもなくて、その逆、サポートしてくれる人たちがいるだけなんです。

これが私の描く、生産者と消費者が共に育む農業なんです。

まだまだ、私の未体験ゾーンはあります。そのことで、思いも寄らないハプニングも起きると思う。だからこそ、過去の経験から獲得したことは、確実に実行することが大事。
その積み上げからのみ、真に理想とする農業が存在し得るのだと思います。








2018年8月19日日曜日

数年ぶりの夏休み

8月12日から数日間、何年ぶりなのかしら・・・夏休みなるものを獲得。

今年は、過去の反省や発見から、必要な作業工程をほぼクリアーできている事もあって、安心して丸ごと夏休みを取ることが出来ました。

そもそも、8月12日頃に兵庫からyamsaiと仲間たちが高知にくるという連絡があって、ならば

「私もそこ休む、そこ遊ぶ事にするわ」

という流れ。

yamsaiとは、兵庫の移動販売八百屋。
始めて『空の下』の生姜を売ってくれた八百屋なんです。

facebook繋がりなんですよね。
この話をすると長ーーくなるので、ここでは割愛。

兎に角、『空の下』と世界を共有しているyamsaiの
初来高ということで、そりゃー行かねば、会わねばという、イベントだったわけです。

ところがですね。私のまーいつもの事というか、よくある事なんですけど、イベント開始時間を間違えてしまって、会場の着いた時には既に終了(チーーン)

(またやってしまった・・汗)

で、

「yamsaiたち何処に行ったか知ってますか?」

と家の人に聞いたところ

「川に行くって言ってました。。。確か黒がついたと思うんだけど。。。二時間くらいかかるって言ってたかな・・」

はいっ、ここから私の夏の旅の始まりです。

ここでいただいたワードは、黒と川と二時間。。

(黒と川と言ったら黒尊川だろうな・・)

とここまでは直ぐに分かったのですが、
黒尊川と行っても、川ですからね。。。。長くて広いよ。どのポイントなんだって話。

(まー複合的な情報から導き出した先へ行きますか。。)

ということで、行った先にいたいた。
会えた会えた。
黒尊渓谷、上り登った先。



着いた時は、間もなく夕飯の時間だったんだけど、
こういうのって、時間が合ったっていう事なんですよね。

私は、約束するのがあまり得意ではないんですよ。

特に農業をやっていると、何があるかわからないし、体調とかもチョッとしたタイミングで崩れたりするでしょ。それとね、自然の中で、自然を満喫しようと思うと、自分の流れを重んじることがとても大切なんですよね。

経験的にその事が分かっていて、その上で会う人というのは、「人に会った」というより「時間が会った」という方が、感覚的に正確なんです。

私が過ごしたい夏休みはこういう夏休みだったんです。

なにか、、時を過ごすとき、リラックスして流れる時間を過ごすには、
時間が合う事がとっても重要なんですよね。
この感覚、分かりますか?

感覚なんですけどね。
しかし、孤独な感覚ではなくて、
例えば、川の流れゆく時間であってり、自然の木々の時間であったり、大地の時間であったり、そこを行き交った人々の時間であったり、其処に生きている虫たちの時間であったり、、それぞれが独自の時間を生きているわけなんですけど、ある地点で、それらが会うんですよね。

その会った時間の広がりっているのは、果てしなく流れる宇宙なんです。
私はこの感覚が好きだから。

それで、やっぱり其処は最高に美しく、エネルギッシュな場所でした。





兎に角水がきれい。
子供も安心して泳げる川だから、泳ぎの苦手な私も安心して泳げました。
川に体を浸すと、(グアーーーー)っと、エネルギーが全身に入ってきて、
体全身スッキリーーー♫

入るは抜けるはで、もう何もいらない状態。
人より圧倒的に自然の生命力の方が優っている心地よさ全開です。



自称「川族」がヤリで仕留めた魚
自然の命が濃かったです。



混ぜれるごとにご飯が増える鍋(笑)
キャンプの必需品だわさ。




はらぺこギャングの為に、常に火があり食事がある豊かさ。
ここでのご馳走は命そのもの。
自分の命と他者の命が交差した時のご馳走は、
心の底から唸る美味しさでした。


水は命の源



黒尊渓谷で数日感を過ごしてから、私は海の方へ南下。

初足摺岬へ。


亜熱帯樹木の生命エネルギーがすごい!
動いているし、話しているし、命の音がする。

私よりもずっと長い間、この地球に生きているそのバイブレーションと共鳴するのって、本当に楽しくて、その姿を見るだけで、木の時間にトリップできる。。この時間が好き。







樹木の素晴らしさって、空間を生きる知性に思える。

その枝ぶりにはムダがなくて、空いている空間に伸びるの。
その姿が宇宙なんですよね。生きてるし、バランスいいし、だから躍動感がある。
私たちが存在している透明な空間は、無とか空ではなくて、触れる事ができる(常に触れている)場であることを樹木は教えてくれます。


「 休み」って何をもって休みと感じるのかな?
数日間の夏休みを終わらせて、いつのも風景に戻ったとき思った。

人生そのものが休みになりつつあるなって。

それは、切り取られた特別な時間なのではなくて、むしろその逆。
人間だけの狭くて短い時間からの開放。

私は、限りなく広い時間の住民になりつつある。
私のいつもの風景にも植物の命が満ちていました。



田んぼの稲。休んでる間に育ってた。



生姜もすごい!生きてる感満載です!


兎に角、私の周りには植物がいっぱい。
人間よりも植物の方が圧倒的に多くて、植物はその姿全身で私にコミットしてくるから、
私はそれだけで、もう十分に楽しい。

その先へ。

人は、人の群れに甘んじていると、その先に行けない。
多様性とか言ってるこの社会の目指す人像ってどんなヒトなのかな?

人の群れのその先に、キラキラした美しい世界はある。

誰でも行ける場所なのに、なぜか大半の人はそこまで行かないんだよね。
だからこそ、私は、超レアな美しい自然を満喫出来ているわけだけど、
本当は、みんなに、この美しさを知らせたい。
でも、そうしたら、この美しさは無くなっちゃうのかな。。

極限られた人しか行かないから、そこが美しいのかな。。
そうなのかな。。

私は思う。
私はその先の美しい世界で生きたい。

生き物は、時間そのものだ。










限られた時間と、限りない時間に生きる、沢山の命の泉に浸った夏休みでした。