2016年4月17日日曜日

2016年4月17日の朝

今朝は、コーヒーを飲みながら目の前の畑を見ていた。
鳥の声と波の音。。目の前の畑には、じゃがいもやら、玉ねぎやら、にんにくににんじん。。
稲の苗もあって、雨上がりの潤った緑豊かな風景の中で、
美味しいコーヒーを飲めるこの時間が、心の底から愛おしく思う。

でも、それと同時に私の心の底から悲しみが湧き上がってきて、
それがとても苦しいんだ。

その悲しみの源泉が何処にあるのか?私は考える。
自然の中で考えている。
世の中の雑音がうるさくて、プッツリと切りたくなる衝動に駆られながら、
その境界線のギリギリの処が『空の下』のこの場所なんだ。

私は、いくつかの可能性を、『空の下』に見出しすことで、
いくつもの苦しみや悲しみを越え、また、多くの喜びを得てきた。
そして、今も同じことを繰り返しやり続けているんだ。



私はここ数日、とてもとても有難い恵みをもらっています。
それは、文旦が齎してくれた幸なんです。

4月に入ると生きている文旦は、自ら発酵を始めます。
日持ちも悪くなり、売る事が出来なくなって来るのだけれど、
同時にこの時期の文旦は、成熟していて最も美味しいのです。
ですから、私は知人などの身近な人に販売をすると同時に、
その旨を理解してくれる方に購入を勧めました。
お陰さまで、お届けして皆さんにとても喜んでいただいて、
数々のお礼のメールをもらいました。

これは、金銭だけの遣り取りではなく、それ以上の心の交流がとても大きくて。
みなさん、「美味しい文旦をありがとうございました」と、仰ってくださる。
その有難い言葉達から、私は改めて自分の立場を振り返るのです。

私は、ただ時間を繋いでいるだけの人なのです。




4月14日に起きた熊本の地震。
翌日、中央構造線を東に移動する可能性がある事に気づき、
昨日、万が一に備えて、文旦の山の上にある小屋に、避難道具一式を運び入れました。
小屋の鍵を、文旦の山主のおばあさんの家に取りに行った時の話をしますね。

おばあさんは、痴呆症のおじいさんと二人で住んでいます。
一人でおじいさんの面倒を見ていて、おばあさんのガンの診断を受けています。
ただ、年寄りなので進行も遅いのか、痛みを和らげる薬だけでそれ以外の治療をしていません。
介護のために掛かるお金は、年金だけでは賄えないので、肉体的にも大変な上に金銭的にも、とても大変な日々を過ごしています。

「どう?変わりない?」

と聞くと、顔を悲しませて

「こんなんよ」

と言いました。おじいさんが直ぐ傍の居間にいたからね。
今にも涙が溢れてくる、その涙を止めている表情が瞬時に分かって、
私はそれだけで、おばあさんの辛さが伝わってきた。

お金が回らなくて大変なんだ。頼れるのは年金だけ。

「文旦の山を買ってほしい」

「うん、そのつもりで頑張ってるから、もう少し待ってて。
7月になれば目処が付くかも知れないから、その時にちゃんと話をさせてね。
生きているうちにお金が入ったほうがいいもんね」

そんな会話をしました。





「ネコが子供を産んで、海に流しに行かないかん」

「えっ?どこにいるの?」

「ここよ」


見ると、まだ目を開けない子猫が二匹見えた。

「かわいそうやけんど、、目を開ける前なら流してもかまんと言われたから」

おばあさんは足が悪くて、歩くのも一苦労なんだよね。
私に海に流してきてほしいみたいなの。

「私はようせん」

と言ったんだ。そしたら、

「おじいさんが寝てる間にでも行かないかん」

とおばあさんは言った。
私は、おばあさんの負担を代わりにやってあげたかった。
足が悪いおばあさんが、海まで歩くの大変だもん。
でも、猫を海に流すことは出来なかった。

生きる道はある。
猫にも、おばあさんにも、私にも、僅かに生きる道はある。
どの道も険しい道のりだ。
それでも、少しでも可能性のある道を選択し続ける事で、
繋がる未来はある思う、身勝手な私なんだよ。




今、おじいさんとおばあさんが植えて文旦によって、
沢山の人がこの上ない幸せを味わっているんだよね。
だから、おばあさんも幸せであってほしい。

こんなに幸せを齎してくれる文旦の山なのに、誰も面倒見れないって言うんだって。
変でしょ?

『空の下』は、何かの力のお陰で、文旦の木の世話をしてくれる仲間に出会えた。
繋ぐ事が出来ています。この先は、おばあさんにもその恩恵を渡したい。
生きている間に、おばあさんの助けになる形で渡したいと強く思う。

その為には、
やるべき事をやり続ける事。
気付きに誠実である事。
自分に怠けない事。



避難道具を運んだ先の小屋の入口には、
沢山の農作業の日程が書き込まれたカレンダーが、
そのままかかっていました。平成22年。。。。。

愛おしく流れゆく時間の中で、言葉ではないものが私の中に流れ込んできて、
悲しくもないのに涙が出て、辛くもないのに辛いと思う。

幾つもの感情が交差して、言葉にならない思いの糸を手繰ってみる。

私は、おじいさんとおばあさんの時間を未来に繋ぐだけの人でありたい。













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