2015年1月3日土曜日

一人の女性が農婦になるまでの物語 その5 「家」



その家は、県道からの脇道を下っていったところにありました。

かれこれ5年は空き家になっているらしく、一反ほどある畑
だったらしき場所は、草がぼうぼうに生えていた。


兎に角草だらけ、草の向こうに一軒だけ家があって、
それが今私が住んでいる家です。

当時はだれも住んでいない家だったんですけれど、寂しい空気がなくて、

むしろ、守られていて楽しそうで愛されている空気が漂っていました。

そうそう、アゲハチョウが何羽も楽しそうに飛んでいたのに
感激したことを覚えています。


私ね、この場所を一目見たときに思ったのです。

「待っててくれたんだ。この場所は私を待っていてくれたんだ」
(笑)っっ


すんなりそう思った、すごいですよねwww

でも、私の中にそっと湧きでた音にならない言葉だったのです。

だから、どんなに周りの人、村の人に

「ここは貸さないやろ」と言われても、

「そんなはずはない、絶対に住めるはずだ」と疑わなかったですね。
過去に何人もの人が借りたいと望んだけれども誰も貸してもらえ
なかった家ですからね。「多分無理やろ」と村中の人が
思っていたのではないでしょうか。

でも、私は疑わなかったですね。自分でも不思議に思いますけどね、
当たり前のように「絶対に住めるはず」と思ったわけです(^=^)


それから私は、気が向くと、その場の空気をただ感じるためにその家に行きました。

晴れた昼間だったり、荒い波音が聞こえる夜中だったり。

当時の私は、都会の雑踏に神経が疲れていて、その原因を自分なりに探しながら、
東京での生活を続けていました。

いくつかの要因がある中で、人の気配がある事自体が緊張につながるのだと
理解していて、全く周りに人がいないところに身を置きたいと望んでいました。

この空家には、畑になる広い土地があって、山があって、いくつもの果樹がある。
草刈や木の手入れは、ここに住むにはやるべき日常の仕事です。

「私はこの場を生かすことができるのだろうか。。」と考えました。

しばらくの間、自問自答する日々でした。

この土地は愛されてきた土地だと強く感じていたので、

私はアゲハチョウがこんなにたくさん飛んでいるこの豊かな土地を

活かすことが出来るのだろうか・・と、しっかりと自分に聞くために、

何度もこの空き家の敷地内に浸る時間をすごしながら、
未来を想像していたのですが、
その度に、「住みたい」と願う気持ちが高まります。


「やりたいことができる環境にもかかわらず、不安や恐怖からそれをしないで

避けて通る生き方は絶対にしたくない」


との思いが最後は私を後押ししてくれたのです。

この間、私的には周りの音を全く気にならず、自分の世界の中だけでその場を感じ、
自分の未来との互換性を確かめていました。

すぐそばに住む親せき(以後Yさん)が、ポンカンや文旦、温州の世話をしていて、
定期的に空き家に訪れるYさん宛に手紙を書いたりもしましたね。
空き家のポストに入れて置いたのです。

手紙の内容は、

「この場所に住みたいと思っています。この場所に何度も来ては、何度となく自問自答しました。その度に住みたい気持ちは高まっていきます。この地に来たからにはこの土地と関わっていきたい。もし、ポンカンの作業などで人手のいるときにはお声をかけてください」


ざっくりこんな内容だったと思います。

幸いにしてこの手紙は読んでもらうことが出来ました。

そしてYさんが家主さんと私たち家族の間に入って仲を取り持ってくれたのです。
Yさんは私たち家族の事情をは家主さんに話し、
「空いているのだから住まわせてあげてほしい」
と頼んでくれたのだそうです。

何度話しても貸すとは言わなず、最終的には
「こっぽり買うなら売る」

と言われたそうです。

「あんた買うことが出来る?」(高知弁でね)

と聞かれ私は、一度も住んだことのない土地をいきなり買うことは
出来ないことを伝えました。


そんなやり取りがあって、

「あの家売れたらしいよ」という話が耳に入ってきた事もありましたが、

「そんなはずはない」と思っていましたね、住めないわけはないってww

確信が揺らぐことはなかったww「なんとか馬鹿」みたいな者ですかね。


それからそれから、ある日のこと


「私が買うてあんた等に貸すことにしたき」


って言われたのよ♪
(えーーー、そんな展開は予想してなかったぞー、すごいなこれは・・)

Yさんは、亡くなった家主さんにとっても可愛がってもらったのだそうです。
生前、

「自分がこの土地の世話ができなくなった後は頼むぞ」

と言われていたとのこと。
Yさんにとっても思い出深く大好きな土地なのだそうです。

「土地は資産やき、買って損はないとも思おたし、
私が買えばあんた等にも貸したあげることが出来るやろうと思うてね。
親せきらにはそんなもの買うて・・と言われたけんど。。
この土地を大切にしてくれるなら私が買うてあんた等に貸すき」


・・・・・感謝。


それからそれから、家賃はどうやって決めたかと言うとこんな感じ。

「あんた等いくらなら払えるが。困るようなお金をもらうことは出来んきね。

いくらなら払える?」
と聞かれ、

「いくらと聞かれても・・・・、今の家賃は16千円です」

と答えてから、何度かYさんと掛け合いをして、

結局25千円となりました。

この間も、この後にも、何度か聞いた言葉があります。

「あんたが住んで良かったと思ってもらいたい」

Yさんは、しょっちゅう私達を気にかけてくれて、

本当に私たち家族の幸せを考えてくれる女性です。


そんなこんなで住むこと決定ーーーーい。

この間、書類とか、礼金とか敷金とか面倒なことは一切なくて、

取り決めとしては、

「雨漏りは私が直すから、あとは全部あんたたちでやりなさいね」

という事を顔と顔と合わせて確認しました。

心の窓全開で風がふわーーーっとそよぐような静かな解放感です。


契約とか堅苦しい言葉連ねなくても、相手に幸せでいてほしいと

双方が思い合えば、自然と事が決まり、約束を破ることはしない、

これは私の理想とする貸し借りの形だったので、

実践することが出来たことにとても満足でした。

同時に、尊敬できる人に出会えたことに感謝しました。


過疎化(衰退)のベクトルを転換する道のりは長い道のりだと思いますが、

確実にベクトルを変えていく方法があります。

それは、この土地を愛して育てる人に住んでもらうことです。

その為の受け皿を過疎地の比較的住みよいところに創っていく必要があります。

来たるべき時のために、また、豊かな未来のために。
継承していくことで、未来の住民が生きれる豊かな環境を与えることが出来る。

せっかく先人に手によって築き上げた生活様式をおじゃんにする事はありません。

いまなら間に合います。いや、今から用意しないと間に合わないと云うタイミングで
始まっている「空の下」です。

この後、住み始めて二年半経つ頃に、この土地を買うことになるのですが、

その話はまた今度にしますね。



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