2015年1月1日木曜日

一人の女性が農婦になるまでの物語 ~その4~

 
雪がしんしんと降る朝、2015年元旦。
 
 
2014年9月にお米の収穫:収量10俵
 
2014年12月に生姜の収穫、収量: 新生姜69コンテナ 親生姜9コンテナ
 
百姓2年目の冬。2014年12月24日も雪だった。
高知県に移住してきて4年目にして初めての雪。
綺麗だけれどさぶい(^^^)
 
震災で高知に移住後、初めての夏に私は、同地域に6年前に北海道から移住している友人Mさんと全校児童7名、教職員5名の小学校「中土佐町立笹場小学校」を宿泊施設として、
夏季疎開を主催しました。東に住む人たちに呼びかけたの。
 
「東から離れたい人は来てください。」って。
 
この時の私の気持ちは、とにかく動ける人は早く動いたほうが良い。
迷いのタネは、出来るだけ早期に取り除いたほうが良いと思っていたのです。
お金が問題で動けない人のサポートをしたかった。
 
私は、受け入れてくれる人や環境があったから自由に未来を選んで行動できた。
その事へ感謝の気持ちがとても大きかったのです。
身軽に移動できる環境がなくて、動けない人は沢山いるんだと感じていたからね。
私個人のブログだけで発信した、その翌日に問い合わせがあったくらいのムーブだった。
この時期は、移住、移動、避難の意識がみなさんとても強かったのだと思います。
結局、6世帯のご家族が入れ替わり立ち代わりで、ほぼ一か月滞在されて、
その内で、一家族が東京から大分へ、もう一家族が神奈川から熊本に移住されました。
この時は本当に良かった、夏季疎開をやってよかったと思えました。
 
私が夏季疎開を主催したもう一つの理由は、過疎地に子育て世代を呼び込むこと。
東から西の移転出来るものなら移転したい人は一定数いる。
一方で農村や漁村の人たちは、戦後の経済政策で都会に流れ、
今や過疎化が進み手が付けられない状況。
ニーズがあるのに、供給がないという現状を打破する一歩になればとの思いもありました。
 
夏季疎開を終了した後に思ったことは、地域全体の意識とリンクしていかなければ、
過疎化を食い止める事は出来ない。。ということです。
住む家がないんです。土地はたーーーーくさんあるけれど、
住む家がないんです。具体的にこの課題を越えて行かなければ、
過疎化を食い止める事は出来ないのです。
 
過疎の村の現状は、過疎化を憂い打開策を暗中模索している人もいますが、
大半の人は諦めてるんですよね、もしくは、どうでもいいと思っている。
日本の人口が減っている時代の中で、農村一つなくなっても
世界はビクともしませんが、しかし、私は、飽食もどきの貧食、環境汚染、精神疾患など
一極集中、お金に頼るマネー文化に行き詰っている日本には、
昔ながらの人の繋がりや生活文化が残っている農村が必ず役に立つと確信してるのです。
その為には、農村をこのまま衰退させるわけにはいきません。
なんとか、この劣勢な時代を繋ぎ止めて行かなければならない。
そして、熟してきたころに活性化を図りたいと思っています。
なんででしょうか、使命感みたいなものですね、
 
「これをすることが私の物語で人生」
 
と、なんの迷いもなく思えたんですよね。今でもそう思っていますけどね(^^)
 
丁度、その頃です、今住んでいる家を知ったのは、そして住みたいと思ったんですよ。
いえいえ、もっというと、「私の住む家だここは!」って思ったのね。
その家はとても人気の家で、過去に何人もの人が借りたいと名乗り出ていたにも関わらず、
貸してもらう事の出来ない家だったのね。だから、誰一人、私はその家に住めるようになるとは
思っていなかったと思うの。でも住めたのよ(^^)
私は、はじめから思ってたけど、「必ず住める」って。
この話は次回にしますね。とても素敵な話だから、皆さんに話したい。
 
今日は2015年元旦です。
私がイメージしている世界に確実に進んでいます。
 
ほんとに未熟な私が今日まで夢を追い、構築してこれたのは、
自分の描くビジョンを信じこれたからだと思っています。
そして、これからはもっともっと緻密に明確に描いていかなければならないとも思っています。
 
自分のビジョンを信じる為に必要な事は、細部までイメージする集中力、
一から学び実践していく根気、そして自分を信じる自信と同じだけ、
自分を疑う覚悟を持つ事だと思っています。
 
人に恵まれ、環境に恵まれ、そこから歩むべき道が示されている現実に
感謝の気持ちは絶えません。2015年は初心に帰って、一から学んでいきたいと思います。
 
友達や知人、人が居てこその「空の下」です。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
 
 
 
 
 



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