2015年12月17日木曜日

一緒に『空の下』の運営をしてくれる人を求めています。

寒くなってきましたね。 今、空の下では、一緒に『空の下』を育て育む仲間を求めています。 一緒にここに住んで、日々の暮らしの中で、農業を軸に遣りたいことがある人。 想像性に富み、創造的に努力を出来る人。 自分の意見をしっかり持ち、発言出来る人。 未来目指す方向が同じ人。 簡単にあきらめない人。 このような人である事が条件です。 その他は、会って、話をしてから、双方が考えを深めていければと考えています。 興味のある人は、連絡を下さい。 今、私達は、日々やる事が沢山あって、追いつかない状況です。 志や夢を共有し、目指す方向に向かって共に力を合わせていける人を求めています。 人がいる事で、出来る事が増える土台はあるので、 興味のある人は、是非現場に足を運んで、ご自身の目でみて、 感じてもらえればと思います。 『空の下』からも、追って、より具体的な提案を ブログ等で発信していく予定です。 今の段階で、住むところと食べる物は共有します。 上記条件に合う人であれば、 単身、子持ち、シングル、何れもokです。 小さな子供や、赤ちゃんの居る人も大歓迎です。 今日も、やる事がいっぱい。 一先ず、はじめの一歩を発信させて頂きます。 (お問い合わせ先) info@soranosita.net 080-6379-1846

2015年11月16日月曜日

オーブンミトンの小嶋ルミさんのお菓子の世界

今回、『空の下』の柚子を使って、オーブンミトンのオーナーシェフの小嶋ルミさんに
『柚子の焼き菓子セット』を作ってもらう事になってね。
どうしてそうなったかと言うと、私がオーブンミトンのケーキを忘れられなかったからなんです。

東京から高知に移住してきて、それ以前に食べていた物が食べられなくて。。
中でも、オーブンミトンのケーキがずーーーと忘れられなかった。
その美味しさは、それ一つで体中が幸せになる美味しさで、そこには、素材の持ち味が120%発揮された
生きたケーキがあるのです。

この美味しいケーキに『空の下』の柚子と生姜を仲間入りさせてくれないかな・・。
と、思い立ったら吉日!速攻メールでラブコールしました。
現在私がやっている事、貴店の美味しさが忘れられない事、素材の仲間入りをしたい事を素直に伝えたら、返事が返ってきたんです、オーブン・ミトンの小嶋ルミさんから。

私は、宝石を売っていた時から、度々営業をしていました。
私の営業は、とにかく自分が好きなところにアプローチするというもの。
何のテクニックもないんです。ただ、素直にジョイントしたいという気持ちを伝えます。
自分の扱っている物が如何に優れているかを伝える事は必須ですけどね。
その、私のノーテクニックな突然のメールに小嶋ルミさんは直ぐに返事をくれたのです。
マジ感激しました。

電話で何度か話をした印象は、先ずとても控えめな人、でも、自分が伝えたいことはビシッとはっきりと云う方です。このバランスが私はとても好きです。
それで、このバランスが、小嶋ルミさんのケーキにも反映されているんですよね。

小嶋ルミさんのお菓子は、妥協が無く、全体像を創り上げる理論を持っていて、その役割を果たす事の出来る素材をチョイスしています。そして、選び抜いた素材の持ち味を生かし切ることを仕事としている創造者であり、技術者なんです。
その事は、小嶋ルミさんの本を読めば分かります。

私は、過去、幾つかの料理本やお菓子本を読みましたが、小嶋ルミさんの本は化学です。
イメージした泡立ちを室温の異なる季節であっても、同じように仕上げる為に、作り始める時の素材の温度管理から、泡立てはじめた後の温度管理に至るまで、全てを計算し読み取ります。
全て計算された理論を、的確に実行する技術を持ち合わせ、細部までこだわって作り上げたお菓子が、オーブン・ミトンのお菓子なのです。

これだけの技術を持って作られたお菓子だからこそ、口に入れる物を厳選するスーパーグルメな人達を虜にするのだと、私は、彼女の本を読んで心底納得しました。

オーブン・ミトンの焼き菓子は芸術品です。食べる事の出来る芸術品なのです。
小嶋ルミさんは、芸大の音楽科出身なんですよ。これまた面白いですよね。
リズミカルで芸術的な彼女のならではの焼き菓子である事が納得の絶品です!

自分が消費者として大好きで食べていた頃の私は、美味しすぎるケーキに大満足で、
舌から口から入ってくる「私的情報」だけでした。

でも、今回、縁あって空の下の柚子で焼き菓子が作られることになって、
この美味しさを皆さんに伝えたいと思うようになって、彼女の素材選びから聞く事に
なったわけです。そして、小嶋ルミさんのお菓子作りの拘りを知るに至ったのです。

食べ物は素材です。素材は作り手の心が丸ごと出ます。
私は、縁あって柚子と生姜作りをしています。
一年目より二年目、二年目より三年目と益々味と食感に対する拘りが育ってきたことを
実感しています。そんな「空の下」が、今回「オーブン・ミトン」の小嶋ルミさんという優れた
シェフに出会えたことは運命だと思います。運命とは、求めた先にある現実です。

私は農婦、小嶋ルミさんはシェフで、一見まったく違う仕事をしていますが、
底辺に流れる「音」が通じたのだと思います。。だからこそ、今回コラボする事が出来たのだと
思うのです。

このご縁がこれからも続くように、私も益々、持つ鍬の手に、そして伝えたい真心に磨きをかけて行きたいと思います。

最後に、小嶋ルミさんの著書から、彼女の言葉を書きますね。

_______以下、「おいしい!生地」から引用________

伝えたい、美味しい生地

ムースやソルベのような冷菓、旬のくだものを生かした生菓子や焼き菓子、食感
や味わいの違うものを組み合わせたハーモニーを楽しむケーキ……洋菓子には、
いろいろなおいしさがあります。中でも大好きなのが、オーブンの熱をいっぱい
に含んで焼き上げるお菓子のおいしさ。生地それだけで幸せな気持ちになれるよ
うな、そんなお菓子です。焼きあがった生地の声に耳を傾けるようにして、試作
に試作を重ねますが、いつもめざしてきたのは・・・・・・

>焼きっぱなしのシンプルさだからこそ
食感にも個性があって、
余韻まで心地いいお菓子。

ふんわりとふくらんで、でもしっとりとしてきめの細かさもあるスポンジケーキ、
バターの風味いっぱいなのに軽くくずれるようなクッキー、バターや粉のおいし
さが味わえてのどを軽く通るようなスコーン・・・・・・。どれも「オーブン・ミトン」
ならではのオリジナルの味わいと食感です。生地をつくるということは、異なる素
材どうしをいかに結びつけるかということ。つまりどう泡立てて、どう混ぜ、ど
のように焼くかという技術が重要なのです。その微妙なバランスにお菓子作りの
難しさと無限性があり、私にとって最大の楽しみ、魅力となっています。焼き菓
子も素材そのものが大切なのはもちろんです。新鮮で上質な素材を選び、適切
な量を使うことがおいしさにつながります。それを最大限に生かすのは作るお
菓子に合ったテクニックです。





2015年11月8日日曜日

家庭内暴力で死んでしまった私の恩師

2014年11月5日は、私の人生の先輩の命日でした。

あれは、何年前だったかな・・。
小金井市に住んでいた時の事・・多分7年前だったと思う。

当時私は、宝石を売っていて、それもとても個性的な宝石を売っていました。

世間一般の宝石店のショウウィンドウで飾られている宝石は、
量産体制にある質の物なんですけどね、そこから外れた宝石を扱っていたんです。
それはそれは、大変躍動感のある生きた宝石で、
「石の時間」を内包し、石の「時間の光」があるストーンなんです。

個性的な宝石は、既成の服(空枠*石がセットされる前の指輪やペンダントの事)が似合わないんですよ。
量販店には、その美しさを引き出す空枠がないの。
だから、私は、その宝石にあった服を作りたくなって、彫金を学ぶことにしたのです。

初めて私が創ったジュエリーは、18金の指輪でした。
宝石は、非加熱ミャンマー産スタールビーで価格は18万円。
18万円の宝石と聞いて、皆さんはどう思いますか?

一般的にはルビーで18万円といえば、決して高くないんですよね。
でも、それは加熱石の話です。

宝石店には非加熱のルビーなんて売っていないですからね。
通常、宝石店で売られているルビーは加熱石です。
下手すると、

「非加熱のルビーは、現代では手に入りませんよ」

なんて、分かったようなことを言う店員がいたりして。。

でも、それは間違いです。
非加熱のルビーは存在します。
なぜ、店頭に並ばないかといえば、個性が強すぎるからなんです。

私の言う、「個性が強すぎる」とは、
内包物が多いという事です。

宝石はその多くが結晶体です。
長い長い年月をかけて、圧縮した塊ですから、
その間には、一つとして同じ環境は存在しません。
不純物と言われる物が入っていたり、圧力が四方からかかって、
断層があって均一でななかったり、また、色味も微妙に違います。
それが肉眼で分かるレベルの「個性」を宝石業界は嫌うんですよ。
なぜなら、その個性を魅力あるものとして理解し、説明できる人ないし、
それを理解して、受け入れられる価値観が浸透していないからなんです。

私は、このような個性的な宝石が大好きで、
この美しさをより良く伝える事に、ある種の使命感を持っていました。

ご縁合って、このように素晴らしく美しいスタールビーに合う指輪を作ってほしいとの依頼を受けて、私は作り始めたのでした。初めて作るジュエリーが18万円のスタールビーですからね、ビビりますよね(^^;)

それ以前から、仕事で御徒町のジュエリー工房と取引をしていたので、
指輪が出来るプロセスは知っていましたからね、作り進める事は出来たんです。
でも、最終段階で、宝石を指輪に嵌める工程は、素人では出来ない事は知っていました。
割ったら最後ですからね。唯一無二の宝石が天然無処理石なのです。

「どうしたものか・・・。どこの教室で習えばいいのだろう・・・。」

と思案していました。
だって、通常、教室というものは、カリキュラムがあるのが普通で、
いきなり、ずぶの素人が18万円のルビーで、18金の地金を使って、しかも途中まで自己流で作っている・・そんな人に教えますか?って、常識的に思いますよね。
私には時間がなかったですから、どうでもいい教室には行きたくなかったんです。

そんな悩みが頭から離れないでいたある日。
いつものように買い物を済ませて、頭の中は彫金の事でいっぱいで、歩いていたんです。

不図立ち止まって、見上げた先に
とある看板があって。
其処が彫金教室だったんですよ。

私は、迷わずその場でインターフォンを押しました。
そして、出てきたのが先生だったんです。

私は、先生に今の自分の置かれている状況を素直に話して、
続きを教えてほしいと願い申し出ました。
先生は、私の申し出を快く受け入れてくださって。

「初めから正直に言ってくれたから、私達も協力しますよ」

と仰って下さって、私は翌日から教室に通い始めたのです。


初日。

H子先生は、

「主人と話をしたんですけどね、あなたには主人が教える事にします」

先生のご主人のお父様は、某有名宝石会社の専属の彫金師で、
15歳の頃から、アルバイトで彫金をしていたという彫金のプロでした。
今では殆ど見ることのない地金から叩いて、細工を施す技術を持つ人で、
その技術や「視線」は本当に感動ものです。
私が、それ以上に感動したのは、技術屋でありながらアーティストであるという事。
自分のイメージを押し付けず、まったくの素人の私のイメージを最大件に尊重してくれて、
尚且つ、そのイメージを実現する技法を教えてくれるという人です。

私は、美容師をしていましたから、技術屋の欠点は知っていました。
ある一定以上の技術を獲得した人の多くは、枠をはみ出さないんですよ。
要は、自分が出来ない、もしくは好きではないデザインを受け入れない理由として、
理論的に不可能だ・・と簡単に言うのです。
私は、そういう技術者を何人も見ていたので、Y先生の姿勢には、
本当に圧巻でした。
尊敬できる先生に出会えたと思いました。
7年ほど前の話です。

2014年の7月頃だったと思います。
私は高知に移住して2年が経っていたある日、
H子先生から携帯に電話がかかって来たんです。

内容は、独立していた長男が失業をして、家に戻って来てからというもの、
家庭内暴力が酷くて大変だ・・・ということでした。
人づきあいが下手な子で、一般的な表向きの付き合いが苦手なのよね。

いろんな相談所に相談したけれど、何処も特例過ぎて手に負えないと言われて、
結局は、何処も助けてくれないのよね。暴力が酷くてね。
よくあなたの事を想いだすのよ・・・。高知に逃げてしまいたいと思うほどよ。。。。

話の途中で、インターフォンがなったみたいで、
「誰か来たから切るわね。また電話させてね」

その後、9月に私がH子先生にショートメールをしたときには、
メールは届かず帰って来てしまっていました。

それから、ある日はがきが届いて、
11月5日に他界した事を知りました。

彫金教室は、週に3回ありました。
生徒さんは皆、私よりもウーーーんと付き合いの長いおばさま方ばかりで、
もう何十年もの生徒さんだったんです。
だから、私は、きっと皆さんご存知で、H子先生の事を助けてくれているのだろうと、
勝手に想像でいていました。
H子先生も、電話では明るく話していらして。
でも、そうではなかったんですよね。

2015年11月6日。
H子先生の一周忌の翌日、私はY先生に電話をしました。
はがきを貰ってから始めてした電話でした。

電話のベルが鳴る間、私はY先生は元気で生きているのか?心配でした。
H子先生がなくなってから、気が狂ってしまっているのではないか・・・と思って。

呼び鈴が鳴り終わって電話に出た声を聞いてY先生とは思えなかった。
余りにも声が若くて元気だったから。

「岩城です」

「昨日はH子先生の一周忌だったから、電話をしました」

その電話で、初めてH子先生の死の原因を聞きました。
息子さんの暴力の末に、気が変になって、最後は救急車を呼んで入院。
約二カ月で死んでしまいました。
脳がやられていたという事でした。

「身体にあるアザの数々に眼が集まり、脳を遣られている事に気付かなかった」

という事でした。。

「警察も保健所も何処も取り扱ってくれなかった。」

Y先生が電話で言っていた。
7月に電話があった時、H子先生も言っていたことでした。

救急車で運ばれた日は、彫金教室のある日だったそうで、
生徒さんに電話で休むことを伝えたと言っていました。
息子さんの暴力が続いている最中、教室はずっとやっていたんですよ。
なのに、なんで?どうして、誰も助ける事が出来なかったんだ。

以前、私が教室に通っていた頃、H子先生がたまに、自分の若いころの話をしてくれました。

「主人は外で働いたことのない人だから、本当に私は大変な思いをして子供を育てたのよ。
一時、子供を育てながらお弁当屋をしていた事もあったの。」

「長男は喘息が酷くて、喘息が酷くなると、背中をさすって、大変だったわ」

H子先生は、結婚してからとっても苦労をされていて、
それは、話を聞くまでもなく、日頃接していて良く分かるレベルだった。
その上で、H子先生は私に「夫婦」というものについても、いろいろ話をしてくれた。

「貴方を見ていると、若いころの自分を見ているようだわ」

とよく私にいっていました。
私も離婚する前の結婚生活は、本当に苦労続きでしたから、
H子先生の苦労は見て取れました。
しっかり者で責任感の強い女性。
子供を産んだ責任を自分一人で背負った女性。
それだけではなくて、ご主人を支え続けた女性。

きっと、最後の最後まで、息子さんが立ち直る事を願い、
何とかしたい気持ちでいっぱいだったのだと思います。
全て自分で背負ってしまったのだと。。

自分の子供を信じていたに違いない。
息子さんの良い所を信じて止まなかったのだろうと、
H子先生は精一杯息子さんを愛していたのではないかと、
私は思うのです。でも、過酷極まりない環境があっって、
誰も助けてあげることが出来なかったんだ。

今、息子さんは精神病院にいるそうです。
多分、一生精神病院で過ごすのではないかと想像します。

「今は静かな時が戻っている」

電話口でY先生が言った言葉。

「H子先生も今は楽になれているでしょうね」
私は、Y先生に言いました。

H子先生。
とても知的な女性で、愛情の深い女性でした。
でも、息子さんを救う事は出来なかったんですね。
息子さんを助けたいと思う母の気持ちを救う事が、
周りの誰にもできなかった。

「息子に言われるのよ。どうしてYと結婚したんだ!って」

H子先生・・・。自分で何とかしようとし過ぎたのではないですか。。。
誰も悪者にしたくなかったから、自分が死んでしまったように思えてならない。

未だ、H子先生は、病気の息子さんを心配してるような気がして、
私は、いたたまれない気持ちになります。
それと同時に、なぜ、あの時、H子先生に「逃げてください」と言わなかった、
自分の愚かさが・・・、私もH子先生を殺してしまった一人なんだと思うのです。
懺悔と後悔の気持ちでいっぱいになる。

私は今日、ブログを書く事にしました。
こうやって、死ななくてもいい命を殺している。

「刑事事件にならなくてよかったと思っているんです。もし、息子の暴力で死んだという刑事事件になったら、今ある物も全部なくなってしまっていただろうと思ってね」

Y先生が言った言葉が心の深い所に刺さっている。

こうやって、死んでしまった命がいくつもあるのだろうと、
H子先生の死は何だったんだろう・・って、そう思うから。

誰も他人を助ける事は出来ない。
だからからこそ、目の前のドラマから目を背けてはいけないんだと、
これは、私の教訓として、皆さんに伝えたかったことなのです。

もしも、このドラマが刑事事件になっていたとしたら、
警察や保健所の責任も問われていたのではないかと思います。

H子先生もY先生も、何度となく相談に行っていたはずだから。
助けてほしいと言っていたんですよ。
警察も保健所も助けなかったんです。

「刑事事件にならなくてよかったと思っているんです。もし、息子の暴力で死んだという刑事事件になったら、今ある物も全部なくなってしまっていただろうと思ってね」

これはY先生の素直な気持ちでしょう。
生き残った者は、命ある限り生き続けなければならないのですから。
でも、、、。












2015年10月19日月曜日

秋が美しくて。。



肉体労働から解放されつつある今日この頃、

今年も何とか感とか、きれいな生姜の畑を眺める事ができました。




大きく育った生姜達。

あと一カ月ほどは、この景色を楽しめるぞ。



生姜の畑の傍らに咲くの花が可憐で美しい。



自家採取三年目の黄金生姜は、花がいっぱい咲きました。

黄金生姜、すごいですよ♪

香り、甘味、辛さ、歯触りが、素晴らしくて惚れる旨さです。



生姜の畑の脇にあるポンカンの木

自然栽培二年目です。



今年は、去年よりも実が付いています。

毎年、大人気のポンカンですが、

今年の味はどうかな?

出来れば、樹上完熟で収穫したいですね。

一般的には、ぽんかんは樹上で年を越さず、

12月に収穫後、倉庫で追熟させますが、

自然栽培に切り替えた初年度に、

一部を樹上完熟にしたところが美味しくて!

今年も期待してますよ♪




畑に植えたハバネロ。

とってもきれいでしょ。

でも、とっても辛い。

でも、とても上品な香り。

辛さもクドクナイ、さわやか。

見た目も、味香りも気に入ったので、

来年も作りますよ。



今年は、麦も採れたし、

米も採れたし、

生姜も乾燥するし、

いろいろ保管したいものが増えたので、

こんな缶を買ってみた。

かなり気に入ってます。

棚にきれいに並べて、

いつでもフレッシュな状態をキープしたい。



青柚子もこんな感じに大きくなって、

果汁も沢山使えます。

柚子の無い生活はない・・ですw

一番のお気に入りは、

アジの開きに柚子と、

ウォッカにゆず。

これ最高!



秋の景色が美しくて、

お茶の花も美しい・・・。




わんわん






それで、いろいろ創作感が湧いている今日この頃。



一日中、丁度良い秋のあれこれが、

とても美しく見えるので、


それだけで、幸せが染み入る空の下でした。


美しい風景は、美味しい野菜を育てているようです。

そして、美しい風景のなかで作る料理は、

私の身体を元気にしてくれます。


これから、黄柚子、新生姜、ぽんかん、文旦と、

間違いなく、身体が喜ぶ季節到来です。ぞ。







2015年10月1日木曜日

空の下の生姜、中土佐町の学校給食に使われています。

私の住む高知県の中土佐町の学校給食に、空の下の生姜が採用されました。

私の末娘は町立中学校の1年生です。

自分のお母さんが作った生姜が、みんなが食べる学校の給食に使われると知ると。

「えーーー、すごい、給食に使われるのォ?」

といった反響ぶり(^^)


その翌々日、学校から帰って来た娘

「今日ね、ママの生姜が使われることを先生も知っててね、
みんな凄い!って言ってた」

と、誇らしげでした。

学校給食に使われることって、こんなにすごい事なんだな・・・なんて、
改めて客観的に知りました(^^)

ともあれ、中土佐町にオーガニック農家が増えて、無農薬の野菜が
沢山使われるようになれば、中土佐町の子供たちは、当たり前に
オーガニックの野菜で育つようになりますしね。
また、当然、美しい環境も育まれるという、好循環が生まれますよね。

豊かに暮らせる町つくりは始まっていますね。
未来が楽しみだ。


2015年8月25日火曜日

『空の下』的概念をシェアして頂きたいと思います。

久しぶりにblogを書こうと思い立ちました。
近頃は、何かを論ずるよりも先ずは前に進む事に専念してきたという事と、
余りにも多様な出来事が次から次へと起きる日常に在って、
それらを総括するに至っていなかったという事で、blogが書けませんでした。

そんな近頃でしたが、今日は書きたいことが一つ纏まったので書こうと思います。

私はこの三年間、無農薬で無化学肥料の生姜を作り、生計を立てる事に専念してきました。
なぜこのような事をしているのかと言えば、

一つ、農薬で地球を汚さない為。
一つ、農薬で人体を汚さない為
一つ、農薬で農村文化を無くさない為
一つ、化学肥料で農作作物を工業製品にしない為
一つ、化学肥料で人体の免疫機能を劣化させない為
一つ、化学肥料で食物本来の旨みを無くさない為
一つ、化学肥料で人が自然循環から離脱しない為

一つ、低所得者から高所得者に至るまでのすべての人が、
    豊かな食生活の基で子孫を生み育てる事が出来る為

これらの為に、農薬や化学肥料を使わないで安定的に農作物を全国民に供給できるところまで、
自然農、自然栽培、自然農法、有機無農薬の農作物を普及させる必要があるとの考えを実行、実践する為にこの三年間、農業に従事してきました。

農薬と化学肥料を使わない農法でも一家を養うだけの所得が得られる事を証明しなければ、
慣行農法を越える事は出来ません。
しかし、理想に向かって邁進できる人は、極一部です。それこそ1%の人だ。
1%を100%にするためには、ある程度のマニュアル化が必要です。
更には、マニュアル化する為には、先行するモデルが必要です。
今、『空の下』では、そのモデル作りに励んでいるという事なのです。

モデルが完成した後には、モデルをシェアします。
細胞分裂のようなイメージですね。
飽和仕掛けた段階で、雇用を増員させるのではなく、
独立採算で分裂していくイメージです。
その為に、二世帯分の所得を獲得する事が当面の課題です。
これが確立すれば、あとは分裂し続ければよい。
大手農業団体や、大手企業のような抱え込むスタイルで、
一つ企業は肥大化する時代ではないと考えます。
ある意味、現代に大きく逆行した考え方ですが、私はそのように考えます。

農業は商業に埋没してはならないけれども、商業を忘れてはならない。
農作物を商品としたところに農業があると考える『空の下』が、
イメージする農商業とはどのようなものなのかと言えば、
「具体的な食の提案」という事になろうかと思います。

『空の下』の生姜、柚子、文旦、ぽんかんをはじめとする農作物を手にしてもらって、
食べてもらって、「美味しい」と思われたなら、皆さんの食卓でご活用いただきたい。
農作物をシェアします。そして、その中で、「わたしも生産者側になろう」と思われた方には、
栽培方法をシェアしますよ。。という事です。

ずっと考えていました。
世論では、「安全安心な農作物を手にすることが出来て、貨幣経済から脱却するには、
自給自足しかない」という論調もありますね。
もちろん、自給自足できる人は是非そうして頂きたいし、それはとても素晴らしい事です。
しかし、誰でもがそれを出来るわけではないのも事実でしょう。
餅は餅屋という事があるわけです。だからこそ、極まる部分もありわけですからね。
どちらかに偏る必要はなく、どちらに対してもシェア出来るほうが『空の下』的なのですよ。

長くなりましたが、『空の下』の考える農業とは、具体的に「食」を提案する事です。
皆さんの想像を超えて「美味しい」を知っていただく事。
それと同時に「皆さんにも作れますよ」と提案する事なのです。

皆さんの食生活が、豊かな大地の恵みで満たされますように、
そして、その大地を耕す同士が増えますように。

どうか皆様にも、『空の下』的概念をシェアして頂きたいと思います。

2015年5月3日日曜日

福一由来の放射能から逃れたい人達へ

太平洋から朝陽が昇り、
徐々に明るくなるのが朝5時過ぎ。

布団が大好きな私は、
布団に後ろ髪を引かれながらも、
今日の日に登場しなければと、
寝床から外に出ます。

潤った空気の中に差し込む朝陽と
サラウンドで聞こえる鳥の声が
とっても気持ち良くて。。。ね。

~~~~~~『福一の放射能被害から逃れたいご家族を受け入れます』~~~~~~~~~

受け入れ期間    : いつでも 

受け入れ最長期間  : ・一カ月(更新は可能です)

               ・滞在日数は予め伝えて下さい。

受け入れ人数    : ・現時点では限定していません。
               お問い合わせの件数や内容によって、その都度、検討していきます。

間借り料       : 一家族一日1000円
              *間借り期間中、保険証、住民票など
               身元を証明する書類のコピーをご提出ください。
              *長期間間借りする場合は、話し合いの上決めさせていただきます。

設備内容       : ・約12畳ほどの離れをご利用ください。

               ・布団は用意します。
               (シュラフやタオルケット、シーツなどご持参いただけると助かります。
            
               ・台所、トイレ(ぼっとん便所)、お風呂、洗濯機、などなど、共有)

注意事項       : ・期間中の事故などは一切責任を持ちません。
               ・すべて自己責任でお願い致します。

その他        : 堅苦しい気遣いは不要です。
              日常の中で不具合が生じた時には、その都度話し合い
              お互いに楽しく時を過ごせるように、協力出来る方に
              限らせていただきます。
            
お薦めする持ち物   : 夏→水着、ゴーグル、
              オールシーズン→釣り道具    

*その他、お気づきの点や、ご不明な点、ご要望などございましたら、
 ご遠慮なくお問い合わせ下さい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~                  

今回、空の下では、福一の放射能から逃れたいご家族を、
水道光熱費のみで受け入れていく事に致しました。
これについては、私が高知に移住してきた当初から、ずっと思っていたことですが、
四年掛けて漸くその環境が出来てきました。

福島の原発事故後から4年経った今、当初想定されていた最悪の事態が
時間とともに現実になっているようで、新たに西へ移動を始めた人たちもいるようです。
私の知らない所で、日々、様々な葛藤を抱えている方や、既に理不尽な秩序の中にいて、
目の前に辛い出来事を抱えている方もいらっしゃるのではないかと。。

場所を変える事で何かが変わるのであれば、それは、空の下でもフォローできますよ。
立ち位置を変える事で、見えてくる道もあると思うので、どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。


ここで、私の経歴を少し話しますね。

2011年の3月17日に当時住んでいた東京都小金井市を出て、
子供三人を連れて高知県に避難しました。
原発事故の直後に動いたのですが、先ずは行き先を探すのに悩みましたね。

震災直後でしたから、アンテナを立てている人も多くいましたけれど、
それでも、いざ非難するとなると難しかったですね。
京都に住んでいる旧友に受け入れてもらえないかと連絡をしたのですが、

「大丈夫じゃない?」と言われた時にはショックでしたよ。
「いざとなると人間こんなものか」ってね。

ご家庭にも事情がありますからね、仕方ない事ですが、
いずれにせよ、日常を変えるという事は、原発事故をしても中々出来ないという事ですよね。

平常時バイアスを掛けて、自分を護ろうとする、謂わば生きる知恵でもありますからね。
私も何度もバイアスを掛けてみましたよ。10往復位しましたかね(笑)
それでも、これは変だ、異常事態だと、最悪の事態を想定して動いたのです。

当時私は5人家族でした。
当時のパートナーは3月15日にミャンマーに仕入れに行くことになっていて、
(当時は、石をネットで売って生計を立てていました)
兎に角、状況をちゃんと判断して、必要であれば必ず避難しろ!という事で、
ミャンマーに行く前に、高知県に住む彼の友人二人の連絡先を置いて行っていました。

いよいよ、これは移動した方が賢明だと判断して、翌日に車に当面の食糧、
仕事道具、子供を載せて東京を出ました。
子供には、「ちょっと旅行がてら行こう」って、半ばだましですね(^^)
それでも、出たほうが良いと思ったから。

はじめに高知市内に住む彼の友人の家にお世話になりました。
本当に親切な方々で、私と子供三人を受け入れてくれて、有り難い事でしたが、
その家には一晩しか入れなかったの。
なぜかと言うと、お客さんでいる事に疲れてしまったから。

気を使ってもらって本当にありがたい事なのですが、
気を使われると、こっちも気を使わないとイケなくなってしまってね。

翌日、もう一人の友人の住む中土佐町に移動。
その人に会うのは初めてでしたが、本当にくつろげて・・・ホッとしました。
ネットショップの運営の仕事もしなければならなかったし、
実態は、旅行のように優雅なものではなかったですからね。
ほっといてもらえる事が何よりのサービスだったのね。
結局、二週間間借りして、そのまま中土佐に住み着いたというわけです。

2011年の夏にも一度、夏休み期間中の小学校の校舎を利用して、
mirainomeという名前で夏季疎開を主催したことがあります。

寝床、台所、お風呂、車を用意してあげて、あとはお好きにどうぞ!というスタイル。
ご利用の皆さんはとても満足されていて、開催してよかったな。。と思いましたけどね。
でも、このスタイルも長く続けられないな。。と直ぐに思ったのね。
なぜかと言うと、やはりそこに生活がなかったからなの。

なんでもそうだと思うのだけれど、生活を離れて何かをするって大変な事よね。
子供をもって家族を養っていると本当にそう思う。

「受け入れてくれる先があるから動ける」

本当にそうなの。
受け入れてくれる友達がいたから東京から高知へ動けた。
もし、それが無かったら・・・って思ったら。。。ね。
そういう場所を安定的に、且つ、発展的に作る事を最優先したほうが良いなと思った。

生活を離れて何かをするほどの余裕は私にはないのですよ。

今って、何かをしようとする時に、前段階で疲れちゃうのよね。
社会の意識と民間の意識にも差があるし、公的機関を使うとそれだけで大仕事で、
目的にたどり着くまでに、時間と労力を相当使うことになってしまって大変。

だから先ずは、自分の生活基盤を整えて、整った日常の延長線上で誰かを
受け入れる事が出来て、出来ればその先の未来が見えるような
そんな環境を造る事に専念する事にしたのです。
その方が確実だなってね。
私の想いが変わらなければ良いだけの事だから。

それから三年経ったのかな。。
ぼちぼちだけど、その道進んでます。
そして、ようやく作る事が出来た。
まだ、作り上げてはいないけれどね。
日々は変化していくもので、様々な出会いの中で構築される
世界を含んだ「空の下」ですから、このペースでいいのです。

空の下は誰のものでもない、この場所と暮らしを大切に出来る人が使えばいいのです。
私にこの土地を譲ってくれた人も、そう思っていると思います。

現在、空の下には、私、中一の娘、雌犬一匹、鶏二羽、空の下の農作業を一緒にしてくれるスタッフ一人がいます。

中一の娘は吹奏楽部に入っていて、休みの日も部活。
とっても素直で生意気でオチャッメでお洒落な女の子です。
今回、空の下で「これこれしかじかの事をするからいい?」
と言ったら「おk」してくれた(^^)

雌犬の名前はリンゴ。敷地内で放し飼いをしているので、
犬のダメな人は残念だけど、受け入れられません。
とても賢い犬で、猿を追い払う仕事をしてくれています。
田んぼにいくのも、畑に行くのも一緒なんだけど、
たまに行きたくないときがあるみたいで、その時はどこかに隠れるという。。
元々、猟犬の血が入っているみたいで、小動物を見ると噛みついて殺します(--)
モグラにもワンワン吠えています。蛇にも吠えている。。。
強そうで情けなーーーいところのある美人な犬よ。

鶏二羽。。烏骨鶏です。
つがいなんだけど、すっごく仲のいい二羽なの。
いつも寄り添っていて、餌をあげるとオスがメスに先に食べさせるのよ。
なんともまー素敵なカップルなの。
本当は放し飼いしたいところなんだけど、
リンゴがいるからね(^^;)殺しちゃう。

あと、30年間有機農業の会社の社長をしていて、
3000人の研修員を受けた経歴を持つ、おだたゆたかさんという人がいます。
今年から空の下の農作業を一緒にやってくれていて、
兎に角なんでも出来て、大変頼りになる男性です。
特に生姜については、プロ中のプロですので、
空の下の主産物である生姜の栽培についても、
多くのレクチャーを受けています。

生姜は高知県が全国シェアナンバーワンで、
路地栽培で生計を立てられる唯一の農作物と言っても
過言ではありませんので、生姜栽培に関心のある方がいらしたら、
いろいろ教えてもらうといいと思います。
現在、東京に在住で、居るときと居ないときがありますが、
彼がいろいろ手伝ってくれるおかげで、
今回のような受け入れも出来るようになりました。

今住んでいる末娘の他に子供が二人いて、
長男は独立して高知市内で暮らしています。
長女は高知市内の高校に下宿して通っています。

こんなメンバーとなっております。

福一の事故後、収束するには程遠いい状況ですね。
新たな問題も浮上してきていて、心身ともに疲れている方がいるのではないでしょうか。
様々な事情で、放射能の被害を受けながらも
どうする事も出来ないでいる方も少なくないと思います。

ただ、そこに居て、ご家族で穏やかに時を過ごしたい思っている人であれば、
空の下で楽しんでもらえるのではないかな。

車を5分走らせば、漁師町があって、美味しい魚が食べれます。
車を3分走らせば、黒潮本陣と言う海の見える露天風呂がある温泉があります。
敷地に隣接して海があるので引き潮の時に貝が採れます。
空には満点の星空。
鳥の鳴き声。

何もなくて、静かな壺のような場所ですが、自然は大変賑やかです。

欲張らず、でも、ほんとうに護りたい者、守りたいものを大切にして生きている皆さんへ。

時間は何にも変える事の出来ない未来を育てる栄養です。
どうぞ、未来に後悔が残らないように、
今、目の前にある未来を大切に育てていきましょうね。

本当に何も出来ない空の下なのですが、
こんな空の下で良ければ、是非ご活用ください。



















2015年4月22日水曜日

青年就農給付金事業について

三年越しで私が取り組んでいる事に
「青年就農給付金事業」があります。
これは新規就農者の経営開始型の国家支援事業の一つですが、
これについて思うところあり、自分が申請者となる事で、
一定の経験を踏んでみたいと思ったからです。
冒頭に言いますが、自然農法で栽培し、独自販路で販売しようとする
Iターンの人がこれを獲得するのは、かなり難しいです。

インターネット上でたまに見られる自然農の人たちのブログ。
ある方の署名もネット上で流れていましたが、私は冷ややかなにこれを観ていました。
何是かと言えば、

「生計の立たない農業は、農業として認知されなくて当たり前」

という考えを持っていたからです。

「お金じゃないんです!」とか、
「自然環境を護っているんです!」

とか主張するなら、環境保護活動の一環という事で
その分野での支援を求めるべきでしょう。。と。

自給自足で農業をする人は別として、一つの事業として農業をするのであれば、
それは、生産物を非生産者に供給するという役割があって、
それを実行できるから農業なのですよね。
それに対して国家は支援対象とするというのが、
国家事業としてあるべき姿だと思うのです。

このような考えがあり、私としては、慣行農法をも超える自然農法に育たなければならないと強く思っていました。今も思っています。
自然農法でも慣行農法に引けを取らない生産性が確保されなければ、
世の中をひっくり返すことなんて出来ないんですよ。
しかし、慣行農法と同じやり方をしていては、自然農法は活かされません。
その一つが販路と価格です。

現状の慣行農法で栽培された農作物と同じ価格で、
同じ販路で販売していては自然農法で生計を立てる事は無理です。
農産物に対して適正な価格で、生産者と消費者がダイレクトに結ばれるような近距離で販売する道を創らなければならない。これは必須です。

現状、自然農法(無農薬無化学肥料栽培)で栽培している農家が行き詰まる点は、ほぼこの一点と言っても過言ではないと思います。
それと同時に、「青年就農給付金事業」の対象として自然農法(無農薬無化学肥料栽培)の従事者が、認められない理由もこの点が大変大きいのです。

この事業を利用する資格にはいくつかの要項を満たす必要があります。

http://www.maff.go.jp/j/new_farmer/n_syunou/pdf/h27_yoko_bekki1.pdf
(↑ 青年就農給付金事業)

読んでもらえると分かると思いますが、そのほとんどが抽象的なのです。

「経営開始計画」という数枚からなる書類を作成して提出するのですが、
ようは、事業計画が実現可能か否かを見られるのです。
当然ですよね。実現不可能な計画ではだめに決まっている。
しかし、これが味噌なんです。

要するに、

「過去のデーターと実績に伴い、この事業計画が実現可能なものであるか否かが判断される」

という事なのだと思うのです。
ここまで言えば分かる人もいると思いますが、過去のデータに乏しいもの、
もしくはないものは通過する事が大変難しいのです。

ですので、新規就農者に課せるとは考えられないような書類提出を要求されました。
例えば、「設定価格での取引実績を示すもの」であったりとか、
その取引によって振り込まれた通帳のコピーとか。。
絶対に、どんな事があっても生産物を下せる先との「売買契約書」とか。。。

言っておきますが、「青年就農給付金事業」って新規就農者の経営不安定な時期をサポートするための支援事業たからね。ここの概念が大事ですから、何度も念を押します(^^)

矛盾してるでしょ。
では、この矛盾を自治体はどう解消しているかというと、
過去に農業学校を出ているか。。とか、農業に従事した経歴があるかとか、
そういうところを見るのです。通り引き先がJAでその価格帯に沿っているとか。
自治体によっては、何々の農業塾に入塾する事を条件としているところもあるのね。
だから、私のように過去の経歴の中に農業をしたことのない人は論外なわけ(笑)

私も子供じゃないから物わかりの悪いことは言いません。

「それなら、一年実績積んで、この計画が実現可能かどうか実践します」

と腹くくったの。
空論で戦うほど馬鹿ではないから。
それと、本当に自分が出来るのかを確認したかったしね。

それで一年目を過ごし、二年目を過ごし、三年目の今年、その間ずっと申請し続けてきました。
高知県から要求される、先にあげた書類も全部提出しましたし、
私の事業計画に則って、取引先も独自販路で広がっているし、売り上げも上がっている。
しかも、事業計画の予定よりも早く広がっているのです。

全ての要項を満たしているにも関わらず、通らないってなんで???
結局は、「実現不可能な事業計画」と判断されたからなのかな?・・・

私は、三年に渡り地道に計画を実行してきました。
自然農バカが蔓延る世の中ではなくて、農薬散布の農業には未来はないと、
人体にも環境にも良くないと思い、それらは、国民健康保険の増額負担とか、
国内自給率の低迷とか、種会社の支配とか、そういった現代の歪みをつくっていて、
それらを改善するためには、絶対に必要な取り組みだと強く思っているからです。

震災で東日本が汚染された今、西日本の土地を活かしていく事で、
安心安全な食べ物を供給できると共に、過疎化に歯止めをかけて、
仕事がないから移転できない人たちの雇用にもつながるとも考えています。
それらを加速する為には、「青年就農給付金事業」の正当な活用が
不可欠なんだとも考えているのです。
だからこそ、自然農バカの主張ではなくて、その根拠を提示できるだけの実績を積むことに努めてきた。そして、現受給者よりもかなり高いハードルを満たしてきたと自負しています。にも拘らずダメなんですか?有りえない。

それでも私は諦めません。まだやっていない事があるから。
今度、県の職員の人と直接話する場を作ってもらう事にしました。
目を見て、なぜだめなのか、その明確な理由を聞きます。
そして、何が必要なのかを見つけます。
改善すべき点を明らかにします。

私が何を諦めないかというと、自然農法(無農薬無化学肥料栽培)が
慣行農法と同じように社会に認知され、行く末は慣行農法を越えて広がる未来を諦めない。
そして、後に続く人たちが正当な支援を受けれるようになるようになる事を諦めない。
更に、まともな自然農業者が増える事を諦めない。

今、世間一般では、「自然農?ヒッピーでしょ?」「大麻好きな人達ね」みたいな
そういう偏見がある。これは事実です。
でもね、当たり前なのよ、そういう実績を積んできたのだから。
ピースとか愛とか言って、ただ勝手な価値観で生きてきた人たちの実績があるからなのよ。
だからこそ、それを塗り替えなければならない。
本当に真面目に社会全体をみて、自然農法で生きている人達がいるのだと、
その実績を積み重ねる事を諦めません。

今私が見ている世界は、長く遠いい道の先にあるけれど、
それらはあるべくしてある世界であるはず。
未来は誰にも分からないけれど、信じた道が本当に価値ある道だったのかを
120パーセント知りたいから、途中では止めません。

長い間したためてきた事を今日ブログで書きました。

空の下では、農薬を使わない生姜つくりをしています。
生姜は空の下の稼ぎ頭です。
どのご家庭でも生姜を使うと思うのです。
しかし、生姜つくりには沢山の農薬が使われています。
その為、病気も蔓延し、一度病気が出た畑は数年使い物になりません。
無農薬では生姜は育たないと思っている人が多いようですが、
そんなことはありません。
適切な時期に適切な種を植えて、面倒もしっかり見てあげれば、
むしろ、農薬を使うよりも病気に強い生姜が出来ます。
薬漬けの生姜を食べても身体に良くありません。

どうぞ、みなさん、無農薬無化学肥料栽培の空の下の生姜を買ってください。
そして、シェアしてください。美味しい生姜を作りますから。

販売を目的とした方には卸価格で取引させていただきます。
シェアを広げる事で、新たな雇用が生れます。
美しい大地が守れます。
農と生活を確かなものに出来ます。

私は、今回、元農林水産大臣の山田さんにDMをしました。
お忙しい方にも関わらず、直ぐに返信くださいました。
本来ならば現職にDMした方がいいですよね(^^)
公的機関と接するのに疲れていて、とりあえず読んでくれるのではないかと
期待して。。。要は話しやすかったのです。

この度から、私の取り組みを公開していく事にします。
私は、自分が善行をしているとは思っていません。
ただ、私の取り組みには、私なりの考えがあって、
そこから社会とかかわる事で、自分自身をブラッシュアップしているのです。
私の取り組みがどうなるのか、この過程を経て空の下がどうなっていくのかを観てもらえればいいかな。

まだまだ力不足の私です。
全ては経験に過ぎない。
助けてくれる人がいて成り立つ空の下です。
私一人の力ではない。
だからこそ、創造の世界を共有し、恵みを共有していかなければならないと思っています。
共に生かされる世界を夢みて。

私に農地を貸してくれる地主さんに感謝します。
ありがとうございます。

2015年4月13日月曜日

自然農とはなんぞや

3月29日に、生姜29コンテナ約464㎏を約一反の畑に植え終わった翌日から雨、雨、雨。。。

3月17日に、みのるポット式にポット苗に種籾を蒔いてからしばらく。。。。ブルーシートを外した数日後から雨、雨、雨。

今年は雨に助けられているというか、水やりの仕事を天が担ってくれています。


私が農業に魅力を感じたのは、自然に溶けれる手段としての農業だった。

中学生の頃から明確な意識の基で「自由」を探し続けてきた私は、
物理的な縛りからの解放と精神性の解放を求めて、
物理的に、又は、精神的に格闘し続けてきた。
支配されることも嫌いだし支配することも嫌い。

誰かの自由を奪う事は大嫌いで、自分自身がつらくなってしまうという、
なんだか訳の分からない性格でね。。バランスが難しいのよ。

。。とにかく、窮屈な世の中なのよ、私には本当に窮屈。

幾つもの不自由から我が身を解放してきた私は、
最終的に、時間からの解放だけが人生のテーマとなったの。
時間からの解放。。。

体内時間、自然のサイクル、、これらから分離した事で、
時間的制約を課せてしまっているのではないとかと思った時から、
私の興味は農業になった。
時間から解放されるためには自然に溶ける必要があるのよ。
それでね、自然に溶けるってどういうことなのかって事が、
現実の課題なのよね。

自然の溶ける農業とは、
先人の経験を基礎とした
一万年の農耕キャリアであり、
変動し続ける自然軸に
拘り、拘らない時の流れである。

そして、即座に動けるフットワークと
地道な努力の先にある
解放された万物のコミュニティーの成果なのだと
そう気付いた今日この頃なのでした。

既に人類は大方の事を経験している。
課題は、その経験からなる知識を
実行に移せるか否かなのであると思うのです。

一つ、扉が開いた気がした農三年目のるんちゃんでした。




2015年4月4日土曜日

4月4日 夜降っていた雨も止んで曇り空

おはようございます。

今年初めてのみのるポット式育苗。
天気に恵まれて何とか育っています。

去年まで、水苗代で育苗をしていました。
田んぼに畝を立て、畝に直播し苗を育てる方法ですが、
畝の高さを一定に揃えるのに苦戦していました。
畝の高さを揃えないと、水位を一定に整える事が出来ないので、
発芽が揃わない、発芽しないなどなどの結果が導き出されるのです。
同じ可能性のある種も環境次第で未来は大きく変わるのです。
それも、わずが数センチ隣の種なのに。。

水苗代で育苗をすると、自動的に手植えになります。
私は手植えに拘ってお米作りを始めたわけではなくて、
ただ、農機具を一切持っていなかったからという理由だけで、
水苗代で育苗、手植え、、手刈り、天日干し・・で二年作りました。
去年の冬、みのるポット式田植え機とハーベスターをくれる人がいて、
チョーーー-ラッキー!!という事で、今年からポット苗、た植木で田植え。

ここで一言

「楽するのも楽じゃない」

機会を使うという事は、企画内に嵌るという事。
ある意味きっちりしないと機械の恩恵を受けれないんですよね。

箱苗がなぜ普及しているのかについて理解できました。
箱苗が一番簡単なんですよ。失敗し辛いのだと思います。

通常・・
・箱苗は、箱の中の一定面積にばらまきすればいい。
・ハウスの中で守られて育つ
・田植え機であっという間に田植え終了

みのるポット式の場合・・
・箱の中の丸い穴に種籾三つ程度を確実に入れる

これが、一手間ですわ。

それでそれで、水苗代にしろ、箱苗にしろ、ポット式にしろ、
やっぱりこれなんだよなあ。。と思ったのが「畝」ですね。
どちらにしても畝作りは大事だわ。
畝をきれいに作る技術は必須です。

育苗に関しては、まだまだ未熟者。
発芽にバラツキがあるでしょ。
バラつきなく、一定に発芽させるにはまだまだ経験不足。
でも、今年、何がだめだったのか、わかったので、
来年はもっと上手くなります。


白くピロッと出ているのが根。
これが地中に潜っていく。
一方で発芽がして、緑色のきれいな苗になります。
ほら、こんなにばらつきがあるの。
早く育った苗も、これから育とうとしている苗も、
大事にしていかないと。
下手だと、この差に心がザワつくから疲れる。
でもね、そんな時に思い出す言葉があります。

「米はえらいきね」

田んぼを貸してくれるおじさんの言葉です。

米はえらいき、大概のことは大丈夫、心配するに及ばないという事。
この言葉がまだまだ私の育苗の心の支えです。
だから、まだ芽が出ていない所もじっくり待ちます。

適期に合わすにはまだまだだわ。
それでも、私はお米作りが好きです。
もっと上手くなりたいし、「自分が育てている」
と思えるような手応えを掴みたい。
今はまだ、「育ってくれている」感じですから。

育つ力とは自然の恩恵。
育てる力は人の知恵。
この二つがバランスよく育つとき、
きっとすべてが輝いて感じるのだと思います。

今年使った種籾は8キロ
箱苗の数89枚
植え付け予定面積 3.5反

お米を作り続ける理由は、

・主食だから

多分それでけ。

主食を作れるって安心だもの。
自分で作るお米は間違いなく美味しいです。

作付面積を増やす理由

・シェアしたいから

「美味しくて安全なお米ありますよ」
って言いたい。

沢山作れれば、沢山シェア出来る。
恵の大地を護れる。

欲かかなければ、無農薬でもお米は作れます。
欲かくポイントを変えれば無農薬でお米を作る事は、
誰にでも出来る。

農薬を使う稲作よりもハードル下がりますよ。

そういった考え方を当たり前にしたいね。

「自分が育てている」
と確認できる実力と
「育ってくれている」
と思えるゆとりのある
そんなお米作りを目指そうかな。

そんなわたしなので、まだまだ祈ります。

「種籾さん、頑張って育ってね」

種籾は頑張らないと思うけどね(笑)

2015年3月29日日曜日

生姜植え付け一段落

昨日生姜の植え付けが一段落しました。

昨年の12月から昨日まで、ほとんど「休む」ことが出来ず、
年末も年始もずーーっと、一定の緊張感があって、本当に疲れた(--;)

私的には、農業三年目にして、初年度を上回るほど頑張ったと思う。
お蔭で?かな、昨年12月にした生姜の収穫は、収穫し終わった次の日に初霜だった。
そして、昨日生姜を植え終わって今日は雨。
お蔭で安心して日曜日の朝をゆっくり寝て過ごすことが出来ました。
雨の音が耳に心地よく、その音を聞きながら三度寝してしまった(^^)
その間に三回も夢を見て、その夢のどれも楽しい夢でした。

ずっとブログを書きたいと思っていたんだけど、書けなくて、
今朝になってやっと書ける状態になりました。

何を書こうか。。。書きたいことは沢山あって、
伝えたいことも沢山あるのだけれど、
沢山あり過ぎて何から書いていいものか分からなくなっています。

でも、、今私が一番言いたいことは、多分、私の周りには沢山の素敵な人達がいて、
その人達が存在してくれている事で、今の私があり、こうしてブログやfacebookで
自分の事を発信できているという事なのだと思うのです。

そういう人達が何人もいて、その都度私は心から感謝で気持ちで胸がいっぱいになり、
それと同時に「がんばるぞ、必ず、未来、恩返しが出来るように夢を実現させるぞ」
って、思うのです。今は、そう思う事しか出来なくて、、、本当にありがとう。


隣の村の自動車整備工場の社長さん、私が高知に避難移住してきた時からずーーーーと、
我が家に車を安く分けてくれて、使わなくなった農機具一式も好きに使わせてくれて、
暖かい目をしている人です。

今年我が家の車が3月で車検が切れてしまうという事で、
「この金欠の時にまいったーー」と思っていた。
この時期、生姜の種芋も買わなければならない、今年は種芋の値段がグッと上がっていて、
想定以上の出費。
その上、車買うお金なんてないよ、
参ったなーと思っていた。

「なんか探しときますぅ」

と言ってくれてはいたけれど、いくらの車でどんなのが来るかは全く分からないし、
私も忙しくて細かい注文を付ける間もなくいた。
いよいよ、車検が切れる頃、私はしばらく軽トラだけで過ごすしかないか。。と思っていた。

「来週車来るから見に来て」

と言われて、車検が切れる一日前に見に行くと
わおっ!軽のワゴン!!しかも全部で20万でいいって。

車検は一年あって、走行距離は12万キロだけど、メンテをし続けている車で、
ナビもステレオ付いていて、きれいで、ワゴンだよワゴン!

社長さんが、、「これなら、荷物も積めるしね」

と、我が家のことを考えてこれを用意してくれたんだって事が直ぐに分かって、
本当に感謝感謝。(ちなみに軽トラもこの社長さんが用立ててくれたのよ)

支払いの事も何も言わない。多分、私が分割で払いたいと言えば、承諾してくれるのだろうな。。
納車の日にとりあえず5万円持って行った。
「追って残金を払います」と伝えて。。出来るだけ早くまとめてで払うつもりです。

今回、生姜の種芋をGETするのに苦労したの。
今年は、全体的に生姜が足りないのです。
2014年は台風の影響で、生姜の畑が水に浸かってしまった所がいくつもあったので、
収穫時は大丈夫でも植え付け時に種として使えるか分からない状態の農家が多く、
その為、種芋を分ける約束が出来ないという事だった。

それでも、過去にアルバイトに行った農家であったり、
いつもお世話になっている農家であったり、人と人の繋がりの中で、
40コンテナの約束まで漕ぎつけた。
それもこれも日頃の繋がりと信頼関係の賜物で、だれか一人の大きな力と言うよりは、
「あの人なら、あの人の紹介なら・・」的なネットワークのお蔭なんだと思う。

そして、やっと昨日、今年度の最低目標ライン1反分の植え付けが完了しました。
今、これを書きながらも何故が涙が出てきます。
ずっと張り詰めた中で、それでもやり終えなければならないと思って、
しかし、私は1人ではなくて、家事もしなければならないし、その上で、
いくつかのトラブルもあったりで、精神的にもしんどかった。。

どんなトラブルかというと、人間関係によるトラブルで、ざっくりいうと
事実の検証なしの人の噂、感情論、動物としての虚勢、
誰が好きとか嫌いとか、そんな話で、今まで仲良かった人の中にも
私から離れて行った人もいました。
その中で、変わらないで居てくれる人がいる。
新たに出会った人もいる。
更に繋がりが濃くなった人もいる。
。。。本当にしんどかったです。

一時は、そのほとんどが敵になりそうだったの。。
それでもね。。本当に私を思っていてくれる人は、ちゃんと私と向き合ってくれた。
目の前で物を云ってくれる人で、私も正直に自分の考えや気持ちを伝える事が出来て、
そして、、、私を理解してくれた人たちなのです。
まだまだ、完全に解決したわけではないけれど、これらは言葉では解決しないと分かっているの。
時間をかけて、私が選んだ道を観てもらうしかなくて、だから、私は夢に向かうしかないのです。
未来、これで良かったんだと、そう思ってもらえればうれしい。

今年から文旦の木の栽培もすることになった。
山主のおばあさん。。

「なんちゃーうるさい事はいわんき、出来るようにしたらいいきね。
たまに遊びに来てや、話ばしたいき」

と言われるの。忙しくてしばらく遊びに行けてない、、ごめんなさい。

なんで、私は今こんなことをしているのだろう。。
これは、本当に私が望んだ世界なのか??
私のやりたいことなの??
今年になって、いつも自問自答していた。。

一年目を振り返る。

私は、震災前から過疎の村が限界集落になり、消えてしまう事がすごく悲しくて、
そんな村を観たくないと勝手に思って、移住してきた村がたまたま過疎の村で、
このままではいけないって勝手に思って。。。。

それと、食べ物が危ないって思って、、健康な食べ物、畑、田んぼ、自然を護らなければならないと思った。その為に自分に何が出来るのか・・と考えた時に農婦になる事を決めた。

東京にいるときに既に気づいていたことがある。

「口で言ってもダメなんだな、見せないとダメなんだな。。見せるしかないんだ」

と気付いていた。

日々の生活で思う事、悩み、苦しみ・・そういって事を解決しようとする時に、

「ここがこうだからこうなる。だからここをこう変えればいいんだよ」
「それは人の思い込みだ。常識を変えなければ変わらないよ」
「どうして、夢を見たらいけないの?有りえない事なんて何もないよ、やらなければ分からないよ」

と言ってもダメなんだ、、と気が付いたの。
見せるしかないんだって。

今、私が見ている世界を見せるしかない。
現実の風景にしていくしかないのです。

農業はいいです。
実際に見える範囲で変える事が出来るから。
遣った分だけ変わるから。
身体にも心にもいいです。

人間は地に足を付けて生きる生きものです。
進んだ一歩を変える事の出来る生きものです。

農業を始めてよかったと思う。
農業を始めてからの出会いは、
私にとって、とても素敵なものでした。
直ぐに分かる同じ気持ち。
観ている世界。

そこかしこに同じ世界を観ている人達がいる事。
それは都会にも沢山いて、それぞれの立ち位置で、
頑張っている人達と確実に繋がれる豊かな世界。

今年初めての「みのるポット式」での育苗も
なんとか芽吹いて育っています。。嬉しい。。

春。

生き物を元気にしてくれる太陽。

ただそれだけに生かされている。

人の笑顔に助けられて。

傍で支えてくれる人に感謝。

言葉では伝えられないから、
出来るだけ早く、ううん、確実に未来に向かって進みたい。
その都度、喜びを分かち合えるように、
煩悩に向き合いながら行こう。

私は、本当に未熟者で、
なのに私の周りには、
なぜか素晴らしく素敵な人達ばかりいて、
本当に不思議です。
人間ってなんなんだろね。
恵って何なんだろう。。

このブログの最後に
沢山素敵な人達がいる中で、
この人の話をします。

私の元大家さんで今の家に私達を住まわせてくれた人。
そして、この家を私に譲ってくれて、
いつも私の幸せを願って、アドバイスもしてくれて、
心配もしてくれて、応援もしてくれる人。

昨日も用事があって家に行ったら、

「あんた、この間誰々の家に入っていったって聞いたけんど、
なんちゃ嫌な事言われたやないろか思って心配しちょった」って(^^)

確か、周りに人の姿はなかったけど、、流石!田舎の情報ネットワークはすごいな(^^)

私:「ぜんぜん。必要な書類があったから、それを書きに行っていたんだよ。、
おもちを食べさせてもらって、カラオケもするか?と言われたけど、
子供もいるし帰った」

「そうか、ならよかった。誰かに何かして貰ったら、大きな事せんでもいいき、
少しだけ気持ちだけお御礼せないかんよ、そうすることであんたも暮らしようなるき、
田舎はそういうところやきね。」

「私もあんたのいい噂を聞けば嬉しくなるし、悪い噂を聞けば心配になるがよ。」

いつもいつもありがとうございます。
私の農業ライフは、この人から始めっているのです。

いつも私に関わってくれる人に
「ありがとう」

空の下を知ってくれて

「ありがとう」

空の下がきれいで豊かなところでありますように。
笑顔や、涙や、笑いや、しかめっ面が行き交う場所でありますように。

美味しい食べ物が育まれますように。




     ↑ 芽吹いた苗。これ見ると元気にある。




↑ 菜の花畑。麦。枇杷の木。キャベツの畑。
    蝶も飛び出した。これからアゲバチョウが沢山飛び出すよ。
    



2015年3月7日土曜日

三月七日 土曜日 雨 で美味しいの話

小雨が降る音が耳に心地よい。
少し離れたところから聞こえる波の音。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今日予定していたイベントは明日に延期した。
小雨の中のサギタもいいですよ。
あ、それいいな、『小雨の音と波の音のお話会』

先日、ある農家にポット苗の種まきを手伝いに行ってきた。
種まきを前に家の主が脳梗塞で倒れてしまって、
どうにも困ったという話で、空の下の活動を共にしてくれている
私のパートナーにお米を作ってほしいと連絡が来たのだ。

丁度その朝、今年からみのる式のポット苗でお米を作ろうと思っていた私は、
勉強にもなるし、話を聞きに行ってみようと、
リンゴを連れてお散歩がてら伺ったところが、
ご主人が倒れた矢先で大事になっていたんです。
タイミングが合ったんですね。
結局、今年は空の下が栽培する事になったのです。

あっちもこっちもそんな事ですよ。
引き継ぐ人は居なくてね、個人でやっているから、
その人が亡くなったら終わりなんですよね。
昔が子供が沢山いたから、働き手もいたでしょうね。
お父さんが死んだら息子が継いだりしたのでしょうけれど、
今は皆無に限りなく近いです。
だから、引き継ぐ人材が欲しいですよね。
いると思うんですよね、勝手にそう信じてるのです。

「いないわけがないだろう」ってね。

繋げる事が出来ていないだけなんじゃないのか?って、
そんな思いが強くて、どうにかして繋げたいと想うのですよ。
これは本能なのではないかと、どうしても止まないですね。

これから益々増えるこのようなケースに
対応できる新たな担い手に巡り合える事を願っています。

田舎で暮らしたい
農作業をしながら
真面目に暮らしたい
あなたは、是非一度空の下に足をお運びください。
敷地内にテントを張って泊まってもらう事も出来るので、
異空間トリップを楽しんでもらいたいと思います。

切っ掛けはそこかしこに転がっています。
一度きりの人生を楽しみましょうね。

空の下では、敷地内に宿泊兼、集いの建物を建てたいと思っています。
遠方から来た方が気楽に泊まれる宿だったり、創作の場だったり、
お茶を飲んだり、話をしたりする建物です。

現在新進行形で進めていますが、お金、人材が乏しいので、
進みが遅いです。
クラウドファンディングで資金を集めたいので、
ご協力お願いします。

私の希望は、この豊かな土地の恵みを現在に活かしていくこと。

美味しい枇杷がある
文旦がある
ポンカンがある

海がある

山がある

空気がある

風が吹いて
空は青く
響く波の音

森の緑
小鳥の囀り
走る犬

唸るほど美味しいものは、
自然との共生の中で育まれ
それは、そこにある営みからのみ
得る事の出来る「美味しい」なのだ。









2015年2月27日金曜日

文旦の山のあれこれ


今年から空の下で栽培管理することになった文旦の木約50本。

山の持ち主は、20歳のお孫さんがいるおばあさん。

戦後まもなく国から買った山でサツマイモを育ていた時の話。

傍らに赤ちゃんを置いて、芋を掘っていたとか。

「オギャーオギャー」

赤ちゃんの泣き声にはっと見ると、
下に転がっていて泣いていたらしく、

「それを見て大笑いしたもんよ」

と、おばあさん話してくれました。

ご自身も数年前に木から落ちたんですって。

「高いところに良いものがなっていると、
何とか取りたいと思って、つい手を伸ばし過ぎて落ちるがよ」

らしいです(^^)
ほんと、昔の人は大らかというか、ワイルドですよね。
地に足を付けて生きてきた強さが満ちています。

今回は三年契約で、空の下が管理することになりました。
将来は定年後のご子息が継がれるかもしれないし、
継がないかもしれないし、未来は不確定ですが、いずれにしても、
無農薬無肥料で、美味しい文旦が育つよう、
管理しやすく美しい風景を創れたらいいなあと思っています。
そして、出来る事なら50本の木と人の暮らしを繋げたい。
空の下の願いです。

普通は、いきなり50本もの木を請け負うなんてできませんよね。
都会に居れば、休日に旅行がてら自然の風景に触れるのが精々です。
私も生姜で就農して、お米も作ってはいるけれど、
文旦の世話をするなんて思っても居ませんでした。
ただ、私が移住した地域は過疎の農村でしたので、
衰退していく村に活気を戻したいというか、
この風景や人の営みを残していきたいとの思いがあり、
一年以上悩みましたが、スタッフが増えたこともあって、
今年度から空の下で引き継ぐことにしたのです。

農業が衰退している大きな理由は、
農業で生活をすることの障壁が高い事が挙げられます。
農家出の後継ぎは本当に少ないですよ。
自然の中で格闘して来た年寄りの多くは、子供に農業を奨めなかったんですね。

家が農家でも何でもない人が農業に従事する為には、
土地を買うか借りるかしなければなりませんが、
なるかならないか分からない段階で、
農地を買うのはリスクが高すぎるし、
借りるにしても、大切な農地を知らない人に
いきなり貸すことは殆どの農家はしません。
行政の新規就農者への支援も手薄ですから、
なかなか引き継げるゆとりのある人はいないんですよ。

私だって、そんなゆとりは本当はありません。
離婚して子供を二人育てていますから、現金収入は必須です。
でも、どうしても私はこれを仕事にしたいのですよ。
この自然の中でお米や野菜や果樹を育てた農民の
その成果を後世にまで引き継いでいきたいですし、
そうと決めて踏み込んだ道ですから、目の前に見捨てられそうな
農地があれば、何とかしたいわけです。

私は、従来のような栽培者が作って収穫して売るという
管理の仕方をしたいとは思っていません。
私の目的は、文旦をお金にする事というよりは、
都会と田舎を繋ぐツールにする事なんですよね。
都会で生活をしてる、働いていていながら、
高知県の中土佐に文旦の木を育てられる仕組みを作る事に
興味があるのです。

その為の繋ぐ仕事が出来ればいいなあと思っているのです。

【例えば。。】
●年間5000円/本でオーナーになる。

身体を使って5千円でオーナーになろう!
剪定、芽摘み、摘果、収穫の作業は、基本的にはオーナーの仕事です。
オーナーの事情により作業することが出来ない場合は、
一回4000円で空の下が請け負います。
その年の実りはすべてオーナーの物となります。

●最高年間21000円/本でオーナーになる。

時間の無い方は、一切の作業を空の下に委託した場合、
年間21000円で文旦の木のオーナーになれます。
得られる文旦の量は、その年によって変わりますが、
最低でも15000円分の文旦約25キロ前後を空の下で保証します。
と、こんな感じの事を考えています。


今年のスケジュールとして、3月7日に

『未来の風景を一緒に創ろう!
文旦の山と海と美味しいのイベント』

を行います。

混雑した枝を剪定して、光と風を取り入れる事で、
害虫の発生を防ぎます。

収穫量は前年度より減る事になると思いますが、
今年よりも美味しい文旦になるはず。

その根拠は、昨年ポンカンの木を同じように、
剪定して育てたところ、味も更によくなり、
収量が減った分、充実した実を付けるに至りました。
文旦の木も、風と光を入れる事で、
必ず美味しい逸品が育つと期待しています。

将来的には、オーナーが作業に泊りで来れるような
宿泊施設を用意したいと思っています。

幾つか構想があるんですが、差し当たり、
同敷地内にログハウスを建設予定です。

頑張って作業を進めてはいるのですが、なんせ常駐スタッフ2名で、
その内の一人が全面的に作業を担っている状況ですので、
なかなか進まないですね。
予算もないので、時間がかかります。

そんな中、日立の「環境NPO助成」に申請をしていたりもして、
これもかなりハードル高いみたいなのですが、
なんでも挑戦してみる事にしています。

これから間違いなく増えていくと思われる、
耕作人を失った果樹、畑、田んぼに対応していく為にも、
より多くの人たちが、負担も喜びもシェアしあい、
その結果、都会と田舎を繋ぐ懸け橋となるような
そんな仕組みを皆さんと共に築き上げていきたいと
強く願っています。

何しろ初めての試みですので、進むごとに実態が掴めて、
改善点が見つかるようなそんなプロセスが不可欠だと想像します。
オーナーさんと空の下と共に、丁度良いバランスからなる仕組みを
創造していきたいので、ご興味をお持ちの方は、
是非オーナーとしてご参加ください。

えーと、とても長くなってしまいました。
ここまで読んでいただいた皆様ありがとうございました。

どういう形で発信していくべきか、毎日考えておりましたが、
結局は、こういう形で発信させていただきました。
空の下は、農業、小売業の留まることなく、
それらの環境そのものをシェアしていく事を目指しています。

過疎化は日本の大問題です。
何か新しい仕組みを生み出さなければ、
ベクトルを変える事は絶対に(言い切ります)できません。
既存の取り組みでは正直無理だと宣言しましょう。

物理的な弊害が大きすぎるのです。
この物理的弊害を乗り越えるだけの創造性が必要です。

皆様、休日のレジャーに文旦を育ててみませんか?
農作物を作る喜びや苦労を少しだけ、バーチャルな感じでもいいので、
体感してみませんか?

それらの経験は必ず皆さんの人生を豊かにしてくれるはずです。
空の下では、そのサポートをしていきたいと思いますので
ご意見やご要望、ご提案などございましたら、
ご遠慮なくお問い合わせ下さい。

info@soranosita.net
(↑お問い合わせ)

同文旦の山で収穫した文旦をfbcartで販売しています。
とても美味しい文旦ですので、是非ご賞味ください。

【高知県産 無農薬有機栽培文旦 5キロ(13個前後入り)】
販売数: 4箱
価格 : 2600円(消費税 送料込み)
https://fbcart.jp/item/2494/47210/12982/
(↑ ご注文はfbcartからお願いします)

【高知県産 無農薬有機栽培文旦 10キロ箱(約11キロ、25個前後入り)】
販売数: 2箱
価格 : 5000円(消費税 送料込み)
https://fbcart.jp/item/2494/47163/12982/
(↑ ご注文はfbcartからお願いします)
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後とも空の下をどうぞよろしくお願いします。






2015年2月12日木曜日

26年度産ぽんかん、柚子の販売を終了しました。心から感謝。

久々のブログです。

「一人の女性が農婦になるまでの物語」
をブログで連載していくつもりでしたが、
この物語を連載するには、まだまだ予期せぬ試練が待ち構えていたらしく、
少しの間連載をやめる事にしました。
また、期が熟したらまた書きますね。

ところで、26年度産のポンカン、柚子が完売しました。
お買い上げいただいたお客様へ心から感謝申し上げます。
空の下をご利用くださいましてありがとうございました。

この度、空の下で販売したポンカンは、私が高知に移住して半年後に
住み始めた家(「一人の女性が農婦になるまでの物語」で書いた家です)の
敷地内に凡そ6本のポンカンの木がありまして、それを本年度から
空の下で栽培管理を始めたものです。

もとは、大家さんが栽培していたのですが、高齢の為管理することが出来なくなり、
私に譲ってくれたのです。

大家さんが管理しているときから有機無農薬で栽培していましたが、
剪定作業がままならなくて、木が大きく育っていました。
その木を昨年の春に、手の届く範囲で収穫できるよう大胆に剪定をした結果、
収量は半分に減りましたが、収穫して追熟させる間に腐ってしまう割合もぐっと少なくなりましたね。ほとんど腐る事がなかったです。

もう一点良い傾向がみられました。
それは、ポンカンは通常霜が降りる前に収穫します。
霜が降りると、実が凍らないように果実自身が水分を減らしていく道を選び始めます。
そうなると、スカスカのポンカンになってしまうので、霜が当たる前に収穫するのです。
しかし、今年のポンカンは霜が降りた後もスカスカにならなかったのです。
なぜそれが分かったかというと、一部だけ、試験的に実を収穫しないで置いておきました。
それを年明けに食べて見たところ、この事実が分かったのです。
しかも、今(二月一二日)の時点でまだきになっているポンカンを食べても瑞々しい(^^)
この要因は、一つは糖度が高い事が考えられます。
糖度が高いと凍り難い、故に水分を減らす必要もないという事です。
気候的には昨年よりも寒いですからね。

こうなってくると、やはり果樹の栽培には剪定作業が物を云うのだという事になりますよね。
正しく剪定をすることで、実のなりも良くなるし、害虫の発生も防げる。
そして、農薬を使わなくても見た目にもイイものが出来るようになるのだと、
実践の中で学ぶことが出来ました。
さて、来年度はどんな実がなるのでしょうか。
とても楽しみです。自然農での栽培は本年度が初年度になるので、
来年以降、どのように変化していくのかをしっかり見届けたいと思います。

ポンカンをご購入いただいたお客様からは、「とってもおいしかった」とのお言葉を多数いただいております。早、来年も買いたいとの有り難いご注文もいただいておりますので、
そのお言葉に沿えるよう努めたいと思います。

もう一つ、本年度から栽培管理をすることになった柚子。
数年間、ほったらかしになっていた柚子山の持ち主と縁があって、
その方のご厚意で空の下で管理することになりました。
昨年末に自然農の柚子を急遽収穫したので、限られた数でしたが、
おかげさまで完売致しました。

一口に柚子と言っても、その香りには差がありますね。
柚子は、見た目をよくするために、通常栽培では一週間に一度農薬を散布します。
皮が命の柚子ですからね、無農薬でなければ使いたくないですよね。
それに、人間の皮膚呼吸と同じで皮も呼吸していますから、必ず中に浸透していきますよね。

この柚子も、しばらくほったらかしでしたから、剪定をしてあげないといけません。
今年から、空の下で持ち主の指導の下剪定を始めます。
来年は、今年よりもいい状態で収穫時期を迎える事が出来ると思うので、
楽しみにしていてください。
最後は、在庫がなくてお断りしたお客様もいらしたので、
来年は、もう少しシェア出来るようにしたいと思っています。

もう一つ、文旦に木があります。
昨年は「システムD」という、facebook上のサイトでシェアさせていただいたのですが、
今年は、シェアする量がありません。
来年度に向けて、もっといい品質のものが出せるように、これまた剪定ですね、していきます。

それとそれと、文旦の木約40から50本を空の下で栽培管理することになりました。
これも、持ち主が高齢の為なんですけどね、後継ぎが居なくて、
それ以前から顔見知りで、生姜栽培の初年度にもお手伝いいただいたりしていた縁なんかもあって、私に声がかかったのですが、「宇宇ーーーーーん」としばらくの間、そう、一年くらいですかね、悩んでいたのです。「いやー、管理栽培できないよ、私だけでは…」って。
それでも、
「農薬を散布するような人の手に渡る事は避けたい」
「誰も栽培管理しなくなる事は避けたい」
と、二つ、私の中で避けたい事態を想定していて、
何かの時には、引き継げるような準備は進めていました。
そんな時間が一年くらいあったですかね、
結局、巡り巡って空の下で管理することになったのです。

この文旦もめちゃくちゃ美味しいです。
文旦と言えば、南国土佐の文旦が有名なんですよ。
文旦発祥の地と言われています。
ここは中土佐町ですが、これね、他の文旦より美味しいですよ。
間違いないです。食べてますから私(^^)
この木もポンカン、文旦、同様に剪定が出来ていなかったので、
今年からやりますよオー剪定(^0^)
来年は美味しい文旦もシェア出来るように頑張ります。

空の下では、兎にも角にも、歴代の人たちが育んできた生きる上での幸を
引き継いでいきたいと思っています。
空の下でなくてもいいんですよ。引き継がれることを目的としているのです。
そして、それは、都会で暮らしている、もしくは、別の地で暮らしている、それ以前に自分たちの恵みとなります。
食品添加物や薬まみれの生鮮品による健康被害が叫ばれていて、
尚且つ不自然な野菜が広がっている中、これを阻止するために出来る事と言えば、
自然の恵みを護っていく事です。これが最も早道ですよ。
これを引き継がないという事は、大げさに言えば、人類はこれを捨てているという事なんです。
そんなアホな事ってありますか?
問題、課題を列挙したところで、目の前にある健康な食べ物を捨ててたらこれアホですよね。

動機は単純です。しかし、実行していくには大変です。
それでも、今回のように、ぽんかん、柚子を買ってくれる人がいました。
そして、その方々が喜んでくれました。
その方々の食生活によって生かされたという事が、
本当に嬉しいし、素敵な好循環だなと思うのです。

この文旦の木の話、次にしますね。
とても優しくて、苦労して生きてきたおばあさんのお話です。
血のつながりはないけれど、私はおばあさんの事を思っています。
お金じゃないんですよ。
今回もお金は動いていません。お金で繋がったのではなくて、
心で繋がったのです。
でも、心だけでは生きていけないから、買ってくれる人が必要で、
それがあるから、おばあさんも空の下も「よかった」と思える未来が創れます。

長くなりましたが、今回のブログは、ご購入いただいたお客様にお礼を言いたかったのと、
今年も頑張りますと伝えたかったのと・・・です。

「空の下」をご贔屓下さいまして、心からありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願い致します。

2015年1月16日金曜日

「空の下」的楽しさ

空の下的には、家族の食事を作る主婦に生姜や柚子、ぽんかんなどを
買ってもらえると本当に嬉しい。

なぜかって、家族の食事を創る愛情が伝わってくるから。
空の下の生姜や柚子を美味しく料理して、
それをご家族やご友人に振る舞っている姿や笑顔が浮かぶから。
その場の空気は健康の源ですよね。

そうやって、お客様の楽しく健康的な時間と空間に、
空の下の生姜や柚子が参加していると想うと、
とても楽しくて嬉しい気持ちになります。

みなさん同じ「空の下」にいるんだなぁと想う
意識の広がりに「自由」を感じる。

距離は時間の隔たりを生むと思われがちですが、
空高くから眺めると、同じ時間を共有しているんですよね。

今日は、この後、文旦の収穫をします。
天気も良いし、日光浴を楽しみながら収穫するか。

空の下をご利用くださってありがとうございます。
これからも、空の下の農作物が、皆さまの食卓の愛の
一員になれる喜びを大切に育てていきたいと思います。






2015年1月3日土曜日

一人の女性が農婦になるまでの物語 その5 「家」



その家は、県道からの脇道を下っていったところにありました。

かれこれ5年は空き家になっているらしく、一反ほどある畑
だったらしき場所は、草がぼうぼうに生えていた。


兎に角草だらけ、草の向こうに一軒だけ家があって、
それが今私が住んでいる家です。

当時はだれも住んでいない家だったんですけれど、寂しい空気がなくて、

むしろ、守られていて楽しそうで愛されている空気が漂っていました。

そうそう、アゲハチョウが何羽も楽しそうに飛んでいたのに
感激したことを覚えています。


私ね、この場所を一目見たときに思ったのです。

「待っててくれたんだ。この場所は私を待っていてくれたんだ」
(笑)っっ


すんなりそう思った、すごいですよねwww

でも、私の中にそっと湧きでた音にならない言葉だったのです。

だから、どんなに周りの人、村の人に

「ここは貸さないやろ」と言われても、

「そんなはずはない、絶対に住めるはずだ」と疑わなかったですね。
過去に何人もの人が借りたいと望んだけれども誰も貸してもらえ
なかった家ですからね。「多分無理やろ」と村中の人が
思っていたのではないでしょうか。

でも、私は疑わなかったですね。自分でも不思議に思いますけどね、
当たり前のように「絶対に住めるはず」と思ったわけです(^=^)


それから私は、気が向くと、その場の空気をただ感じるためにその家に行きました。

晴れた昼間だったり、荒い波音が聞こえる夜中だったり。

当時の私は、都会の雑踏に神経が疲れていて、その原因を自分なりに探しながら、
東京での生活を続けていました。

いくつかの要因がある中で、人の気配がある事自体が緊張につながるのだと
理解していて、全く周りに人がいないところに身を置きたいと望んでいました。

この空家には、畑になる広い土地があって、山があって、いくつもの果樹がある。
草刈や木の手入れは、ここに住むにはやるべき日常の仕事です。

「私はこの場を生かすことができるのだろうか。。」と考えました。

しばらくの間、自問自答する日々でした。

この土地は愛されてきた土地だと強く感じていたので、

私はアゲハチョウがこんなにたくさん飛んでいるこの豊かな土地を

活かすことが出来るのだろうか・・と、しっかりと自分に聞くために、

何度もこの空き家の敷地内に浸る時間をすごしながら、
未来を想像していたのですが、
その度に、「住みたい」と願う気持ちが高まります。


「やりたいことができる環境にもかかわらず、不安や恐怖からそれをしないで

避けて通る生き方は絶対にしたくない」


との思いが最後は私を後押ししてくれたのです。

この間、私的には周りの音を全く気にならず、自分の世界の中だけでその場を感じ、
自分の未来との互換性を確かめていました。

すぐそばに住む親せき(以後Yさん)が、ポンカンや文旦、温州の世話をしていて、
定期的に空き家に訪れるYさん宛に手紙を書いたりもしましたね。
空き家のポストに入れて置いたのです。

手紙の内容は、

「この場所に住みたいと思っています。この場所に何度も来ては、何度となく自問自答しました。その度に住みたい気持ちは高まっていきます。この地に来たからにはこの土地と関わっていきたい。もし、ポンカンの作業などで人手のいるときにはお声をかけてください」


ざっくりこんな内容だったと思います。

幸いにしてこの手紙は読んでもらうことが出来ました。

そしてYさんが家主さんと私たち家族の間に入って仲を取り持ってくれたのです。
Yさんは私たち家族の事情をは家主さんに話し、
「空いているのだから住まわせてあげてほしい」
と頼んでくれたのだそうです。

何度話しても貸すとは言わなず、最終的には
「こっぽり買うなら売る」

と言われたそうです。

「あんた買うことが出来る?」(高知弁でね)

と聞かれ私は、一度も住んだことのない土地をいきなり買うことは
出来ないことを伝えました。


そんなやり取りがあって、

「あの家売れたらしいよ」という話が耳に入ってきた事もありましたが、

「そんなはずはない」と思っていましたね、住めないわけはないってww

確信が揺らぐことはなかったww「なんとか馬鹿」みたいな者ですかね。


それからそれから、ある日のこと


「私が買うてあんた等に貸すことにしたき」


って言われたのよ♪
(えーーー、そんな展開は予想してなかったぞー、すごいなこれは・・)

Yさんは、亡くなった家主さんにとっても可愛がってもらったのだそうです。
生前、

「自分がこの土地の世話ができなくなった後は頼むぞ」

と言われていたとのこと。
Yさんにとっても思い出深く大好きな土地なのだそうです。

「土地は資産やき、買って損はないとも思おたし、
私が買えばあんた等にも貸したあげることが出来るやろうと思うてね。
親せきらにはそんなもの買うて・・と言われたけんど。。
この土地を大切にしてくれるなら私が買うてあんた等に貸すき」


・・・・・感謝。


それからそれから、家賃はどうやって決めたかと言うとこんな感じ。

「あんた等いくらなら払えるが。困るようなお金をもらうことは出来んきね。

いくらなら払える?」
と聞かれ、

「いくらと聞かれても・・・・、今の家賃は16千円です」

と答えてから、何度かYさんと掛け合いをして、

結局25千円となりました。

この間も、この後にも、何度か聞いた言葉があります。

「あんたが住んで良かったと思ってもらいたい」

Yさんは、しょっちゅう私達を気にかけてくれて、

本当に私たち家族の幸せを考えてくれる女性です。


そんなこんなで住むこと決定ーーーーい。

この間、書類とか、礼金とか敷金とか面倒なことは一切なくて、

取り決めとしては、

「雨漏りは私が直すから、あとは全部あんたたちでやりなさいね」

という事を顔と顔と合わせて確認しました。

心の窓全開で風がふわーーーっとそよぐような静かな解放感です。


契約とか堅苦しい言葉連ねなくても、相手に幸せでいてほしいと

双方が思い合えば、自然と事が決まり、約束を破ることはしない、

これは私の理想とする貸し借りの形だったので、

実践することが出来たことにとても満足でした。

同時に、尊敬できる人に出会えたことに感謝しました。


過疎化(衰退)のベクトルを転換する道のりは長い道のりだと思いますが、

確実にベクトルを変えていく方法があります。

それは、この土地を愛して育てる人に住んでもらうことです。

その為の受け皿を過疎地の比較的住みよいところに創っていく必要があります。

来たるべき時のために、また、豊かな未来のために。
継承していくことで、未来の住民が生きれる豊かな環境を与えることが出来る。

せっかく先人に手によって築き上げた生活様式をおじゃんにする事はありません。

いまなら間に合います。いや、今から用意しないと間に合わないと云うタイミングで
始まっている「空の下」です。

この後、住み始めて二年半経つ頃に、この土地を買うことになるのですが、

その話はまた今度にしますね。