2014年10月31日金曜日

空の下 ~・一人の女性が農婦になるまでの物語・~

1971年(昭和46年)千葉県生まれ、2歳の時に大企業で働く父の転勤で名古屋へ移転後、
千葉、福岡、東京と父の転勤に伴い3年か4年に一度のペースで転校していた子供の頃、
転校を嫌がる子供も少なくないようだが、私は転校するのが割と好きだった(^^)

学校から帰ってくると、いつものように母が台所で夕食の支度をしている。
当時は対面キッチンなどではなく、壁に向いて料理はするもので、
しかも、倹約家の母は部屋の電気を灯すことなく、手元だけを照らす明かりの下、
私に背を向けたままで、

「お帰り、また転勤することになったわよ」

というの。
私は何変わることなく

「どこに?」

「福岡」

「へーー」

そんな会話で転勤、転校が知らされるという・・・馴れたものよねw

転校を知らされると、私は日本地図を広げ、今住んでいる場所(千葉県の津田沼)と
次に住む場所(福岡県)の位置を確認する。
まだ、一度も行ったことの無いその場所には、まだ会ったことのない未来友達がいて、
この時も私の知らないところで、しかし、私と同じように普通に生活をしているのだと思うと、
なんだか不思議な気持ちになった事を今でもよく覚えているな。

父は大手の企業に勤めるサラリーマンで終身雇用が普通の時代。
会社人間というか、企業戦士という言葉がぴったり嵌る感じかな。
平日は一日会社努めで、私たちが寝た後に帰ってくる。
休みは日曜だけで、朝から日曜討論を見て、その後ゴルフの中継を見る感じw
典型的なサラリーマン。
長期の休みと言えばお盆と正月のみ、一週間ほどの休みがあるのだけれど、
お盆休みのその一週間を丸々郷里の島根県邑智郡邑智町信喜に帰る人だった。
都会で交通の便の良い、直ぐに都心にアクセスできる環境で育ってきた私が、
都会から離れ、田舎に・・しかもドドドド、ド田舎に身を置く唯一の機会、それが父の帰郷だった。

本当に何にもないところ。郵便局もない。お店も一軒もない。
手紙を出したいときは、一時預かりをしてくれる家が近所にあって、そこに渡して置くという感じ。
父の里は村でも大きな農家だったので、車が通ればそれは家に来る車・・みたいな(^^;)
そのくらい、なーーんもないところ。

年に一回のこの1週間が、私の人生に深く深く刻み込まれていた事に
大人になってから気づいたんだよね。
私が今、高知県の過疎の村で生姜やお米を作っているのは、
この幼少期の経験というか、匂いとか目に映った景色とか、
父の想いとか、集まる親戚とか、それらが一体となって
私に何かを感じさせてくれたんだよね、きっと。


次回につづく・・・